日めくりプロ野球5月
【5月27日】2005年(平17) オレに投げさせろ!清水直行、志願の完投勝利
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完投勝利を挙げ、ファンの背番号26のユニホームを手にようやく喜びを爆発させたロッテ・清水直行
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【ロッテ8−2横浜】エースナンバー18を背負ったマリーンズの右腕はこの日、誓いを胸にマウンドに上がっていた。
「どんな形になっても、絶対最後までマウンドを守ってみせる」。
決して調子は良くなかった。9回二死一塁まで、9安打3四死球。2回と6回を除き毎回走者を背負った。点差は6点あったが、既に球数は136球。打者は6回に完封の夢を打ち砕く2点本塁打を浴びた横浜・小池正晃左翼手。これが最後、と三振を取りに行った。キレ味鋭いスプリットで空振りを奪った瞬間、ロッテ・清水直行投手はガッツポーズではなく、今までのモヤモヤを吹き飛ばすがごとく、大きく息を吐いた。
途中何度もバレンタイン監督が近づいてきては交代を打診された。それでも首を縦に振らず、完投することにこだわり続けた。前回登板の中日戦で6回11安打5失点でKOされた不甲斐ない投球を振り払うためという意味もあったが、交流戦でのつまづきの原因を自分の腕でかき消し、新たなスタートを切るためにもこの横浜戦はどうしても勝ちたかった。
5月も終わろうとしているのに、自他共に認めるエースは1カ月近く勝ち星から遠ざかっていた。その間、チームはセパ交流戦で白星街道をばく進。この日の横浜4回戦まで中日、巨人を連破し5連勝中だった。一人乗り遅れた感の強い清水は、あの日出した1つの四球を引きずっていた。
5月6日、横浜スタジアムでの横浜1回戦。この年から始まった歴史的な交流戦の第1戦の“開幕投手”として清水はマウンド上がった。横浜のエース、三浦大輔投手と雨中の投手戦を展開。1−0とロッテリードのまま9回を迎えた。一死を取って、交流戦完封第1号が見えてきた時だった。4番・佐伯貴弘一塁手を四球で歩かせた。ベンチを見ると、ボスが立ち上がっていた。あと2人。シャットアウトを目前にして清水はマウンドを降りた。
守護神・小林雅英投手は雨の中で、しかも不慣れなハマスタでのマウンドに苦労し、一死満塁としてしまった。続く村田修一三塁手に三遊間を割られ、二塁走者の俊足・野中信吾内野手がこれしかないというような絶妙な走塁で間一髪セーフ。敗戦投手にこそならなかったが、清水は勝負に勝って試合に負けたような気分で、歴史的1戦を終えた。以後、勝ち星は付かぬまま3試合が過ぎていた。
「どうしても勝ちたかった。バックが良く盛り立ててくれた」と久々の5勝目、交流戦1勝目を挙げた清水はようやく笑った。この後、中日、ヤクルトから1勝ずつマークし3勝。翌06年も3勝、07年1勝で計7つの勝ち星が付いた。
交流戦4年目の08年、清水は特別な思いでシーズンを送っている。愛妻に先立たれた中でマウンドに立つ日々。交流戦だからという特別な思いはないが、交流戦大好きのロッテが08年、開始早々から苦戦を強いられている。初めて味わう試練に清水も立ち向かっている。
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