日めくりプロ野球5月
【5月31日】1956年(昭31) 川上哲治 日本初の大記録もやっぱり“テキサス”だった
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全盛期の48年(昭23)ごろの川上哲治。背番号16は途中参加の46年に一時他の選手に譲ったが、ほぼ1人で背負い永久欠番になった
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【巨人3―1中日】08年4月12日、阪神・金本知憲外野手が通算2000本安打を記録。達成者は計37人となった。大打者の証のように取り扱われる2000本安打だが、その第1号は“打撃の神様”こと巨人・川上哲治一塁手だった。
中日球場での中日11回戦の8回、中山俊丈投手から左翼と遊撃手の間にポトリと落ちる“テキサスヒット”で記録した。今なら大々的に報道されるところだが、当時は記録に対しての概念が希薄で特にセレモニーが行われるわけでもなく、淡々と報じられた。
最近あまり聞かれなくなった、テキサスヒット。米国のマイナーリーグ、2Aに相当するテキサスリーグ上がりの打者が、メジャーデビューすると日本でいう“ポテンヒット”のような、野手の間に落ちるヒットを打つ選手が多いというところから、1940年代ごろ大リーグ内でこの言葉が生まれたとされる。いわばマイナーの選手を見下した差別語だった。
“打撃の神様”であると同時に、川上は“テキサスの哲(てつ)”とも呼ばれた時期があった。戦後間もなく、川上が巨人へ復帰すると付いた代名詞が“弾丸ライナー”。赤く塗られた赤バットで鋭いライナーを外野へ飛ばし、時にスタンドインすることから、青バットの大下弘外野手の放物線を描くような本塁打と対照的にそう表現された。それがテキサスとなったのは選手生活の後半、ライナー性の打球が減り、ポップフライを打ち上げるようになってからだった。
ちなみに川上の赤バット、戦後のプロ野球復活のシンボルとして長く語り継がれているが、川上自身は戦前から使用していた。太平洋戦争が始まった41年(昭16)、冗談でメーカーの担当者に「バットを赤く塗ったら面白いんじゃない?」と話したところ、届けられたバットは真っ赤に塗られていたという。試しに使ってみると、最初の打席で二塁打を放ったことで、縁起がいいと使い始めたのだった。戦後の赤バットはメーカーの話題づくりに大下とともに乗ったというもの。メーカーからは広告料名目で1万円の“ギャラ”が支払われた。
川上の野球人生は努力とともに不思議な運に恵まれていた。熊本工時代、投手だった川上は、熊本鉄道管理局に就職しようとしていたが、支度金(契約金)300円、月給110円でバッテリーを組んでいた吉原正喜捕手の「刺し身のツマ」(川上)として、38年(昭13)巨人入りしたのは有名な話。半月後、球団創設準備中の南海(現ソフトバンク)が支度金500円、月給150円で入団を誘ってきた時には「悔しい思いをした」と回想している。
“花の13年組”と呼ばれた吉原、千葉茂二塁手は即レギュラーとして開幕から活躍、同組には現在巨人で活躍している内海哲也投手の祖父、内海五十雄内野手もいたが、川上の出番は敗戦処理か代打程度。完全に補欠だった。
運命が変わったのは38年8月22日、北海道でノンプロの函館オーシャンズとの練習試合。正一塁手の永沢富士雄がベースに駆け込んだ際に足を捻挫。川上は藤本定義監督に言われるがままに、投手用のグラブで一塁を務めた。この試合で川上は二塁打2本に三塁打1本の計3安打と活躍。帰りの青函連絡船の中で藤本は言った。「ファーストミットを買っておけ」。打撃の神様のこれが本格的な第1歩だった。
川上が父親の勧めるままに鉄道管理局に入っていたら、巨人ではなく南海に入っていたら、永沢がけがをしなかったら…。そう考えると、野球の神様が打撃の神様を生み、後年、監督として巨人9連覇を達成することになる名監督を育てたのかもしれない。
打者として2351安打、181本塁打の記録を残した川上だが、投手としても39試合で11勝を挙げた。2000本安打達成者で投手として入団したのは5人いるが、プロで勝ち星がついたのは横浜の石井琢朗内野手のみで、しかも1勝だった。今後、川上の記録を投打で上回る選手が登場するのか。大正生まれ唯一の2000本安打打者は色あせない。
記事
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