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日めくりプロ野球12月

【12月29日】1983年(昭58) クロマティ巨人入り 決め手は運とその生い立ち

ホームランを放ち、右腕を掲げる得意のポーズを見せたクロマティ。このポーズに多くの巨人が熱狂した
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 3年間の助監督から監督に就任した王貞治に朗報がもたらされたのは、正力亨オーナーがハワイでのウインターミーティングから帰国する朝だった。

 サンフランシスコ・ジャイアンツなど大リーグ3球団が獲得を目指していた、エクスポスのウォーレン・クロマティ外野手の代理人から正力オーナーに「トウキョウ・ジャイアンツに入団することを決めた」という電話が入った。

 ナ・リーグで毎年優勝争いを演じていたエクスポスの5番打者で、愛称は“クロウ”。メジャー9年間で1063安打、通算2割8分。米国の選手名鑑、83年版・大リーグスカウティングレポートにはこうある。「ラインドライブ・ヒッター(中距離打者)で二塁打が多いのが特徴。得点圏に走者を置いた場合、凡打に終わることは極めて少ない」。

 当時まだ30歳の働き盛り。後に巨人軍史上最強の助っ人し呼ばれ、ファンの人気も絶大だった左打者の獲得は、運とその生い立ちが絡んでのものだった。

 当初、ジャイアンツ、レッドソックス、マリナーズの3球団がFAとなったクロマティに食指を伸ばし、中でもジ軍は4年契約で200万ドル(当時約4億7200万円)の条件を提示、他の2球団も近い額を提示してきた。巨人の条件は3年180万ドル(約4億2480万円)。契約年数は1年短かいのがネックだった。

 短いとはいっても巨人としては、かなり踏み込んだものだった。ヤンキースの主力打者、ロイ・ホワイト外野手、メジャー17年のキャリアがあったレジー・スミス外野手でさえ2年契約。いかにクロマティに期待をかけていたかがわかる。

 ジ軍有利というのが大方の見方で、巨人側も次の候補に打診を始めた矢先、レッドソックスとマリナーズが他の外野手の獲得に成功し、クロマティから撤退。すると、競争相手のいなくなったジ軍は最初の条件提示を取り下げ、金額を値切ってきた。25%も引き下げられたクロマティは、これを即座に却下。「野球がやれて金が稼げればどこでもいい」とし、巨人との契約にいたった。

 マイアミ出身のクロマティは少年時代、母親がアパートの家賃を払えず追い出されたという過去があった。「弟を連れて3人で安いホテルを転々としたことは忘れられない」というつらい思い出は、クロマテイの金銭感覚を形成していった。

 「少しでも多く稼ぎたい」。それ以外に巨人を選んだ大きな理由は別段なかった。その年俸も巨人は60万ドルずつ3年間というのではなく、50万ドルからスタートし、1年ごとに10万ドルずつアップしていくというスライド制。これがクロマティの自尊心をくすぐった。

 72年、デート短大時代に米大学選抜チームの一員として来日いて以来、9年ぶりの日本でクロマティに用意された背番号はエクスポス時代と同じ「49」。本人は「0」を要求したが、正力オーナーが「0は背番号としてふさわしくない」と却下。球団史上初の背番号は幻に終わり、89年に川相昌弘内野手が「60」から変更するまで「0」は現れなかった。

 「レジーは先生だ」と、メジャーでの実績は上のスミスを立てながらも、アドバイスは全く聞かず、来日当初は多くの外国人が失敗するように大振りが目立った。たまりかねた王監督が都内の焼鳥店の個室にクロマティを呼び、食事をしながら打撃指導。「世界のオーに目をかけてもらった」ことがよほど嬉しかったらしく、王監督への尊敬の念は今でも続いているほど。次男のミドルネームを「オー」としたのは有名な話だ。

 その後の活躍は周知の通り。乱闘あり、決勝打あり、敬遠のボールを打ってサヨナラ勝ちしたこともあった。外野席のファンとともにハチマキをしめて「バンザーイ」をする姿は、今でも脳裏に焼きついている。

 90年まで7年間在籍し、通算951安打で日米合計で2000本安打を超えた。171本塁打、打率3割2分1厘はもちろん巨人の外国人史上最強。勝利打点86は同じ期間内で見ると4番をはっていた原辰徳内野手の72を上回る。特に接戦での打席での集中力は素晴らしく、1点リード、またはビハインドのケースでの本塁打は103本と6割以上。原が4割程度だったこと考えると、その勝負強さはずば抜けていた。

 91年大リーグ、ロイヤルズに復帰も「ゆっくりしたい」と1年で引退。代打専門だったが打率3割1分5厘は日本で変化球打ちをマスターした賜物だった。

 野球教室を主催したり、現役のときから続けていた音楽活動を発展させプロデューサーとして登場してみたりとユニホームを脱いでからは多忙の毎日。果ては阪神に在籍し帰国後メジャーで本塁打王となったセシル・フィルダーや巨人時代の同僚、ビル・ガリクソン投手と共同出資で歯ブラシの製造・販売会社を立ち上げたりもしたが、どれも成功したとはいえなかった。

 最近では日本人だけでチームを編成した、独立リーグ「サムライ・ベアーズ」の監督に就任したものの1年で解任。プロレスイベント「ハッスル」に参戦したことで話題を呼んだ。野球関係者に会うたびに「オレを打撃コーチで雇うチームはないか」と聞きまくっており、日本球界復帰には意欲的だ。

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