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日めくりプロ野球12月

【12月24日】1975年(昭50) 広島にクリスマスプレゼント、北別府入団

94年9月21日、引退試合でカープナインに胴上げされる北別府。ただ一人、広島一筋での200勝投手だ
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 球団創立26年目で初優勝を遂げた広島の契約更改はにぎやかだった。クリスマスイヴの更改に球団事務所を訪れたのは、古葉竹識監督。50%アップの1400万円(推定、以下同)でサインした。

 20勝をマークし沢村賞を獲得したエース外木場義郎投手はそれより4時間前の午後3時に姿をみせ、110%アップの2200万円の提示を受けた。「僕の考えと開きはない。今度、判を押しますよ」と交渉を終えてホクホク顔。ベストナインに選ばれた三村敏之内野手も1200万円で更改。「10年かかってようやく夢の1000万円プレーヤーになれました」と感慨深げ。優勝すれば、勝てばいい気分で年越しができる。長年、Bクラスしか知らなかったカープナインが喜びを知ったクリスマス。79、80年の連続日本一は古葉監督が言うように「75年の初優勝が土台」だったのである。

 選手に大盤振る舞いのサンタクロースといった感じのカープだが、チームにもクリスマスプレゼントが到着。11月のドラフト会議で1位指名した宮崎・都城農高の北別府学投手の入団発表が行われた。「中日の鈴木孝政さんのような力で押せる投手になりたい」、18歳の期待の右腕はテレながら抱負を語った

 インターネットなどない時代である。九州では多少名の通った本格派右腕だったが、甲子園にも出場しておらず全国的には無名。広島も1位指名にはためらいがあったが、春の九州大会で完全試合を達成した実績と「インコースの真っ直ぐが素晴らしい」と、足しげく通った担当のスカウト1年生、宮川孝雄の熱意トと眼力を信じた。

 ひと足早い、日本ハムからのクリスマスプレゼントだったともいえる。ファイターズは75年オフ、中西太監督から大沢啓二監督にバトンタッチ。かつての知将・三原脩球団社長が親分をスカウトての人事だった。その大沢がドラフト前に、九州の日本ハム社員から「北別府というすごく速い球を投げる高校生がいる」という情報がもたらされた。もちろん映像もなければ、客観的な情報もなかったが、話を聞けば聞くほどいい投手だということは大沢にも分かった。

 11月中旬、東京・六本木の球団事務所での最終編成会議。「今年はどういうスカウティング方針なのかタッチしていないので黙っていよう」と心に決めていた大沢だが、各スカウトのあまりパッとしない報告を聞いているうちに、つい口を挟んだ。「九州に北別府っていう本格派の右投手がいるっていうぜ。誰か知らないか?」

 反応が鈍い。ようやく西日本担当のあるスカウトが口を開いた。「右肩を痛めています。使えませんよ」。釈然としない大沢だったが、自分が実際に見ているわけではないし、それ以上は言えなかった。この時、日本ハムのスカウトは北別府の名前を聞いたことはある程度の認識で、その投げる姿を見てはいなかった。肩痛の話も何の根拠もなかった。

 11月18日、ドラフト当日。当時は予備抽選を行い、クジで各球団の指名の順番を決めていた。日本ハムは4番、広島は10番。大沢の中ではまだ北別府の名前が引っかかっていた。しかし、ファイターズが1位指名したのは丹羽鉦電機の右腕、福島秀喜投手。会場がドッと沸いた。「別の意味の驚きさ。誰も知らねえんだもん」と大沢監督。意表をついた指名だった。広島は祈るような気持ちだった。ヤクルト・杉村繁内野手(高知高)、巨人・篠塚利夫内野手(銚子商高)、中日・田尾安志外野手(同志社大)…。次々と野手の大物が消えていく中で、北別府は運良く残った。

 福島、北別府ともに背番号20を付けてプロ入りした。福島はプロ在籍3年、1軍の登板がないまま球界を去った。一方、北別府は1年目の76年10月12日、ヤクルト24回戦(神宮)で初勝利を挙げ、以後19年で515試合213勝141敗。カープ一筋の投手でただ一人の200勝投手となり、5回のリーグ優勝に貢献。なぜか日本シリーズでは1つも勝てなかった(5敗)が、シーズン最多勝、沢村賞各2回など80年代を代表する投手となった。

 「北」を中国語読みして「ペー」と先輩なには呼ばれた北別府は、宮崎と鹿児島の県境の町鹿児島県末吉町(現曽於市)出身。通学に片道18キロの山道を、自転車をこいで行ったのが、自然と足腰を鍛えるトレーニングになった。

 ピッチングのコツは酪農業の父から教わった牛の乳搾りで体得した。「乳搾りと投球は同じ。牛をいたわるように、ボールを自分の分身だと思ってかわいがり力まずに握る。大切なのは投球も乳搾りも魂を入れてやること」。歴代18位(07年現在)の213勝のうち無四球完投は実に36試合。特にシュート、スライダーのコントロールは針の穴を通すほどの正確さだった。「球がそれほど速くなくても制球が良ければこれだけ勝てるというのを残せた」という誇りを抱く20世紀最後の200勝投手だ。

第11回ドラフト会議  75年11月18日 ホテルグランドパレス ※球団の順番は抽選順。×は入団拒否
 球  団   1位指名選手   歳・位置   所  属    その他の主な指名選手など
 ロ ッ テ    田中 由郎  20・投 三菱重工三原 3位水上善雄(内、桐蔭学園高)
 阪  神   ×足立 義男  19・投 大分鉄道管理 4位深沢恵雄(投、日本楽器)
 大  洋    田村 政雄  22・投  中央大 2位岩井靖久(内、法大) 4位斉藤巧(内、洲本実高)
 日本ハム    福島 秀喜   20・投  丹羽鉦電機 2位行沢久隆(内、中大)
 近  鉄    中野 英明  18・投  東海大二高
 ヤクルト    杉村   繁   18・内  高知高 4位芦沢優(捕、巨摩高)
 巨  人    篠塚 利夫  18・内  銚子商高 3位中畑清(内、駒大) 5位山本功児(内、本田技研鈴鹿)
 阪  急   ×住友 和哉  18・投  鳴門高 2位蓑田浩二(内、三菱重工三原)※住友はプリンスHから81年6位で近鉄入団
 中  日     田尾 安志  22・外  同志社大 3位青山久人(投、国府高)5位福田功(捕、中大)
 広  島     北別府 学   18・投  都城農高 2位山根和夫(投、日本鋼管福山)3位長内孝(外、桐蔭学園高)4位小林誠二(投、広島工高)
 南  海     森口 益光  22・投  近畿大 3位立石充男(内、初芝高)
 太 平 洋     古賀 正明  26・投  丸善石油 5位木村広(投、日大)
   

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