日めくりプロ野球12月
【12月26日】1963年(昭38) 小山正明と山内一弘“世紀のトレード”異例の同席発表
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トレード発表時の会見後の写真。左から山内、野田オーナー、永田オーナー、小山
Photo By スポニチ |
新年まであと5日。大阪・梅田の阪神電鉄本社では、阪神・野田誠一オーナーと大毎(現ロッテ)の永田雅一オーナーとともに、トレードでそれぞれの球団に移る2選手が同じひな壇に並んで座っていた。
“世紀のトレード”といわれた、大毎不動の4番打者・山内和弘(後に一弘)外野手と村山実と並ぶ阪神のエース・小山正明投手の移籍発表は、異例の形で行われた。「小山君のような一流投手の代わりに指名されたのは光栄。巨人を叩くために頑張りたい」(山内)「長年いたチームやし寂しさはあるが、どうしてもということなので意気に感じている」(小山)と、両チームに請われて行くということで、悲壮感はなかった。
驚いたのは、このトレードの仕掛け人・永田が突然声を詰まらせたことだった。「オリオンズのために打ちまくった山内君を手放すのは、身を切られる思いだ。これで成績が上がらなければ、私は大毎ファン、山内ファンから罵倒されるだろう。それでもチームのため、球界発展のため、やらなければいけないのだ。この永田の気持ちを察してくれ」。いつも快活な“ラッパ”こと、永田のやや芝居がかった姿に報道陣も呆気にとられるばかりだった。
いまや死語となった「バイタリティー」という言葉は、永田によくあてはまった。野球のことはほとんど素人だが、勝負には熱くなるタイプ。本業の大映映画よりも球団強化にどんどん口を挟み、めぼしい選手がいればスカウト合戦にトレードと自分が出て行って話をまとめようとした。
パ・リーグで初優勝した60年、大洋に日本シリーズで4連敗した西本幸雄監督を解任し、商売敵の東映・大川博オーナーと競って巨人の監督を退いた水原茂監督も口説き落とそうとした。
そのラッパが例年以上に活発な動きをみせたのが63年オフだった。V1達成後、4位、4位、5位と精彩のないオリオンズのチーム改革のため、端的に言えば自慢の「ミサイル打線」を解体し、投手中心の守りのチームを作り上げることを目標に、常識では考えられないトレードを画策した。それが“世紀のトレード”だった。永田にとって小山の獲得は、少し遅れてきたクリスマスプレゼントとなった。
永田が小山を指名、したわけではなかった。さすがにタイガースの好投手であることは知っていたし、面識もある。「オリオンズに来いや」と誘ったこともあったが、実際にエース級の投手が獲得できれば、誰でも良かった。実際、大洋の秋山登や果ては国鉄の金田正一投手まで名前を挙げていたという。
小山に白羽の矢が立ったのは、阪神から大毎に引き抜かれた敏腕スカウトマン・青木一三の何気ないささやきからだった。「村山を可愛がるタイガースに嫌気がさして、小山はチームを出てもいいという考えがある」。
永田はすぐに動いた。自ら大阪に出向き阪神の野田オーナーと戸沢一隆代表に「小山君を譲ってほしい。その代わり阪神が欲しい選手は誰でもやる。山内でも榎本(喜八一塁手)でも構いません」と単刀直入に切り込んだ。度胆を抜かれた阪神側は即答できるはずもなく、とりあえず藤本定義監督に相談するとして永田の申し出を持ち帰った。
「小山を出せるわけないだろ!8年続けて2ケタ勝っている投手なんてそうおらん。永田さんは野球を知らなすぎる」。藤本監督の第一声は怒りを通り越して呆れていたが、しばらくすると戸沢代表に聞き返した。
「本当に永田さんは山内でも榎本でもと言ったんですか」。戸沢代表がうなずくと「考えさせてくれませんか」と言ったきり黙りこくった。
「ダイナマイト打線」といわれたのも今は昔。投手陣が安定しいるにもかかわらず、阪神が巨人に勝てないのはその貧打線に原因があった。62年優勝時のチーム打率は2割2分3厘、63年も2割3分9厘と2年連続リーグ5位。本塁打数にいたっては広い甲子園球場を使用していることもあって、球団創設以来3ケタの大台に乗ったことがなかった。 藤本監督は野田オーナーらに言った。「一塁しか守れない榎本君は論外。ウチには右の藤本勝巳も左の遠井吾郎もおる。本塁打が打てて、4番を任せられる山内君が来てくれるなら、小山を出してもいい」。
12月14日、今度は阪神側が東京に出向いた。築地の料亭で戸沢−永田の会談がもたれ、トレードが内定。翌15日、永田は大映本社に山内を呼び、いきなり頭を下げた。「すまんが、阪神へ行ってくれ。小山君とトレードだ。この天下の永田の顔を立てて黙っていってくれ」。
永田の顔を立てるも何も山内はオリオンズの顔という自負があった。それに東京・本郷には家を新築したばかりだった。一方でセ・リーグでもやってやろうという闘志もわいてきたことは確かで、最後は永田の「後世にいいトレードだったと言わせてやろうじゃないか」のひと言で腹を決めた。
小山にいたってはサバサバしていた。小山は野田と遠戚の関係にあり、11月からあったトレードの噂について問いただしたところ、野田は「永田さんがどうしてもって言うてあきらめてくれのや」と、引き留めの強い意志を感じなかったことで、タイガースを去る決意をした。
連日動向を追う報道陣に「何でそんなに騒ぐのや。野球はどこへ行っても変わらん」と小山。阪神は好きだが、球団内部での立場を考えればオリオンズ行きはむしろ転機と考えていたようだ。
両球団の思惑は当たった。山内は移籍1年目の64年、打率こそ2割5分7厘台に終わったが、チャンスに決勝打を飛ばし31本塁打を放ち94打点。4番の重責を果たし、チームの2年ぶり優勝に貢献した。同時にタイガースは初めてチーム本塁打数が3ケタの114本に達した。
64年は4位に終わった東京だが、小山自身は30勝12敗で最多勝のタイトルを獲得。小山の勝ち星はチームの77勝中4割近くを占めた。甲子園とは違う狭い東京球場では、真っ直ぐを見せ球にして、パームボールを低めに集めてゴロに打ち取るというスタイルで好投。オリオンズでの9年間で140勝を挙げ、歴代3位の320勝を記録。70年のオリオンズの10年ぶり優勝にも名を連ねた。
山内も小山もともにテスト生でプロ入りした。しかも、山内は中日、小山は大洋のテストを受けて縁がなく、それぞれ毎日、阪神に拾われた。山内も2271安打を放ち、小山とともに球史に名を残した。あれから45年、これ以上の大物同士のトレードは実現していない。
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