日めくりプロ野球12月
【12月30日】1971年(昭46) 長嶋、お手当て5985万円で暫定“世界一”
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71年オフ、当時流行のボーリングのテレビ番組に出演した長嶋。指導しているのは人気NO.1だった中山律子プロ
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巨人・長嶋茂雄三塁手の契約更改はほぼ毎年、球団で最後の“トリ”だった。「チョーさんの交渉が終わると、ようやく正月という気分になる」。フロント関係者は口をそろえたものだった。
この年は“トリ”を柴田勲外野手に譲ったものの、話し合いはわずか20分で終了し、契約更改した。4年連続の打点王は逃したが、打率3割2分で史上初の6度目の首位打者(当時)になり、セ・リーグMVPも獲得と大活躍だったわりには、年俸は8%しか上がらず4925万円(推定)止まりで大台の5000万円には届かなかった。
ただ、これだけでは終わらない。年俸にプラスして現役14年のボーナスが1000万円、72年から川上哲治監督の要請で打撃コーチ兼任になるため60万円が上乗せされて、合計は5985万円に。
「今年の働きを褒めてくれる数字だった。(年俸だけで5000万円の)大台?何のこと?(笑)とにかく自分でも納得できた」。オプション付きで事実上年俸は約6000万円。一発で判子を押したのもうなずける数字だった。億単位の額が当たり前の昨今の野球界だが、当時の6000万円は夢のまた夢の金額。この頃の宝くじの1等賞金が1000万円。しかも1回につき1本しか用意されていなかった時代の話である。
この10日前、1ドル=360円の為替レートが変動相場制に移行し、この日のレート1ドル=308円で計算すると、長嶋は暫定ながら、世界最高給のプレーヤーとなった。というのも、米大リーグトップの年俸は70年、カージナルスで23勝を挙げ、ナ・リーグ最多勝のタイトルを獲得したB・ギブソン投手で15万ドル=約4620万円。ギブソンは71年の契約を済ませていなかったため、長嶋の1位はただし書きがつくものだったが、それでも日本のプロ野球選手にとってまだ憧れの存在だった大リーガーより上にいったことは、年末の大きなニュースとなった。
意外と安いのがコーチ料60万円。月額5万円の計算で、これは71年に長嶋が務めた主将手当てと変わらない額だった。「まあ、お茶代みたいなものだね。食事代とまではいかなかった。当然と言えば当然かな。選手が主な役目なんだから」と長嶋。一般に高給取りといわれた銀行員の初任給(大卒)が4万5000円。それよりも高い5万円をお茶代と言い切ってしまうのもミスターならではの金銭感覚なのかもしれない。
だが、長嶋の選手としてのピークはここまでだった。翌72年、15年目36歳になった長嶋のバッティングはファンに衰えを感じさせるものだった。打率は2割6分6厘まで低下。打撃成績のベスト20にも入れず(21位)、入団以来最低の数字を記録した。
フォームを崩されても、ヒットにしてしまうのが長嶋の特徴でもあったが、それが凡フライ、凡ゴロとなるケースが目立ち始め、さらにとらえたはずの打球が野手の正面をつくなど、バッティングに“狂い”が生じ始めた。
バッターボックスで時々塩をまいたり、投球動作中の投手から目を切り、捕手の構えを探ったり…。どんなことをしてでもヒットを打とうとする執念はすさまじかったが、瞬発力の衰えは致命的だった。
そんな長嶋に他球団の投手もインコースを厳しく攻めるようになった。体が開いても、右方向へ持っていけるのが長嶋の技だったが、「いつの間にか内角のボールを怖がるようになった」とは川上哲治監督。右前打になっていた打球が振り遅れのポップフライになったり、見逃すケースやたたらと目に付いた。
73年も打率2割6分9厘で本塁打はかろうじて20本。長嶋のバッティングは輝きを取り戻すことができず、ついに74年、ユニホームを脱ぐ決意をした。
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