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日めくりプロ野球09年1月

【1月2日】1987年(昭62) 落合博満ぶち上げた「4割、70本、200打点」

中日移籍1年目のオープン戦で技ありの右打ちをみせた落合。オレ流はドラゴンズでも貫き通した
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 トレード発表から10日。ロッテの背番号6から中日の背番号6になった、落合博満内野手は、早くもドラゴンズの“準地元”ともいえる富山、石川での1泊2日のサイン会行脚に出発した。

 仕事始めは富山のショッピングセンター。ドラゴンズの新主砲に会いたいと、子どもたちを中心に長蛇の列ができた。「中日ドラゴンズ 落合博満 6」と次々色紙に書くと、次は質問コーナー。落合は中日ファンへのすごい“お年玉”を口にした。「今年の目標は?」と問われると「まだ、セ・リーグのことはよく知らないけれど、打率4割、本塁打70本、200打点。僕がこれだけ打てば中日は必ず優勝する」と答えた。

 そんな数字…と聞いているファンでさえ思いつつも、いつもの平然とした口調で言ってのけるからホラに聞こえない。数字は大げさな例えとしても、“三冠王を取り優勝する”という自身の表れの公約だった。

 セパ両リーグでの初の三冠王奪取に立ちはだかるのが、パの落合と同じく85、86年のセの三冠王、阪神のランディ・バース内野手。86年、バースは日本球界最高記録の打率3割8分9厘をマーク。本塁打、打点とも85年優勝時の数字を下回ったが、かなりの警戒をかいくぐっての三冠王はさらに進化したバースを他球団に示す格好となった。

 それでも落合は動じない。「(バースは)ライバルだとは思っていない。常に自分が上に立たないといけないと思っているからね」と、余裕のNO.1宣言。ここまでくるともう“オレ流”の独壇場。巨人・江川卓投手から「何本ホームランを打ちますか?」というチビッ子の質問には「エースは必ず叩かなくてはならない。試合展開で必要なら何本でも打つよ」。「優勝できますか?」との問いかけにも「そのために中日に来た。任せてください」と笑顔で胸をたたいた。

 力強い落合の“中日優勝宣言”に、自著の「なんてったってオレ流さ」、信子夫人の著書「悪妻だから夫はのびる」をそれぞれ100冊、シングルレコード「サムライ街道」300枚は完売。正月早々副収入でホクホク顔だった。

 しかし、シーズンではそうもいかなかった。中日は巨人の独走を許し3位。オレが打てば…と豪語していた落合だが、結局打撃3部門のタイトルは獲得できなかった。ロッテ時代からの腰痛、セの投手の攻め方のクセなど、無冠の要因は多くあったが、落合は黙して語らず。ただ「4番がいいところで打たなきゃチームは勝てない」と自己批判するばかり。その上で87年10月13日の、ナゴヤ球場での最終戦終了後、ファンの前でマイクを握ってザンゲした。「最後まで自分の形ができないで終わった。何の役にも立てなかったことが残念だ」。

 翌88年に落合が打点王を獲得したドラゴンズはリーグ優勝。4番のバットで95打点を挙げての6年ぶりの栄冠だった。

   

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