メッツ千賀 蒲郡高の恩師・金子監督、寝不足何の深夜の大興奮「背番128で投げていた姿から…誇らしい」

[ 2023年4月3日 18:45 ]

<マーリンズ・メッツ>6回途中1失点で降板し笑顔でシャーザー(右)と笑顔の千賀(撮影・光山 貴大)
Photo By スポニチ

 メッツ千賀の蒲郡高時代の恩師・金子博志監督(49)は、3日の月曜日から夜更かし後にも興奮し、喜び続けた。「昨晩、夢舞台をテレビで生観戦しました!すごかった。眠かったけど、降板するまでチェックさせていただきました!育成時代の背番“128”で投げていた姿から脳裏に思い出されて。投げ終わったら寝ました。活力になるし、誇らしいです」と話した。

 移籍先決定前の昨年12月、愛知県内で再会。食事をした。「輝いて見えていましたよ。“向こうでやってやるぞ”と言っていましたしね」と思い出した。

 蒲郡高入学時の最速は124、5キロで体重は50キロ台。「見た目はマッチ棒か、かりんとうでした」と笑う。地元の中部中学校の同級生と体験入部で登場も、中学の先輩が野球部にいたとの理由だけ。ボクシング部、サッカー部、テニス部と迷っていた。「超ラッキーな拾いものでしたよ(笑い)」と振り返る。

 ただ、内野手志望の男のキャッチボールで好素材と分かった。「球の回転の初速と終速が同じで球が垂れなかった」。肘の健康骨周りが、抜群に柔らかかった。1年春から投手をやらせ、同夏には2ケタ背番号を渡した。

 2年冬に球場のポール間ダッシュを自発的にやるようになった。練習試合登板後の2試合目が終わるまで、ひたすら走っていた。授業の合間に捕食を食べさせて体重は3年間で20キロ増量。3年夏の最速は144、145キロ。横スライダー、カーブ、縦系のスプリットを投げた。最後の夏は3回戦敗退だが、引退後の同秋に金子監督はさらに驚かされた。

 「3年生の9月、トラックマンの第一人者が知り合いにいて千賀を連れて東京の研究所に行ったんです。そこで千賀に投げさせたら科学的データとして現役で一流の藤川球児さんと直球の回転数が変わらないとの結果が出ました。これで確信に変わって、プロや社会人で通用すると思いましたね」。懐かしそうに振り返る。

 武器はお化けフォークだが、高校野球指導の長い恩師は、千賀の“大化け”にいまだに驚くばかりだという。「育ち盛り、鍛え盛りの期間の生徒で、20キロ増量に成功したのは、千賀しか過去にはいない。名も知れない地元の子が、ですよ。本当に伸びシロというものは、どこにあるのかは分からない。千賀を教えて、分かりましたよね」。育成選手でプロ入りし、支配下で実績を残し、念願のメジャーリーガーとしてデビュー戦で勝利投手となった。

 グラブには、蒲郡市の形が刺しゅうされている。「彼は、地元愛も強いんですよ。あんなに天真爛漫な子はいないですよ。飾らない、色んな意味で行動力がある。面倒見もいい。(育成から)はい上がってきたので、携わってきた人間を大切にします。投手向きの性格で、注目を浴びるところで我が道を行ける。自己評価ができて課程からゴールまでを考える力を持っている。物事の取捨選択がうまい。必要なもの“これは”というものを、見極めますから」。教え子は、海を渡ったが何も心配はしていない。期待をするばかりだ。

 「ケガなく、ローテを守ってほしい。不安もありますが、本当に楽しみです」。金子監督は再び縁があって、千賀がデビューした後の日本時間3日の月曜日から、人事異動で豊橋商から再び蒲郡高に再赴任した。野球部の副部長にも就く。忙しい1日となったが、声は弾み続けていた。

続きを表示

この記事のフォト

2023年4月3日のニュース