ロッテ・佐藤都志也のマルチな捕手道 「強み」の複数ポジションは「弱み」でもある

[ 2023年2月8日 05:20 ]

58歳オールドルーキー アラ還記者走る

キャッチボールする佐藤都と大内記者(撮影・長久保 豊)
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 スポニチ史上最高齢?の58歳で初めてプロ野球担当記者となり、初めてロッテの沖縄・石垣島キャンプを取材する記者の奮闘記「アラ還記者走る」。第2回は同じ福島出身の佐藤都志也捕手(25)に密着した。現場に来たことで分かった捕手の過酷な練習やチームへの献身ぶり。親子ほども年齢が離れた若武者から多くを学んだ。(大内 辰祐)

 いつも汗びっしょり。精力的に動き回る佐藤都には、そんなイメージがある。全体練習での守備、打撃、走塁に加え、ブロッキング、スローイングなど捕手の専門技術の練習、ブルペンに入って投手陣のボールを受け、コミュニケーションも図る。日によっては特打や特守もあり、さらに佐藤都の場合は内野手のメニューも加わる。

 相当きついだろうなと想像しながら質問すると、「自分の課題をクリアするためにやっているので大変とか、練習が長いとかいう感覚はないです。全体より個人練習の時間が長いので充実していますよ」とサラリ。年齢を言い訳に、やらない口実ばかりを探しているアラ還記者には耳の痛い答えが返ってきた。

 福島支局時代に小学生から社会人まで幅広い年代の野球を取材した経験はあるが、初めてのプロのキャンプ取材で感じたのは、自分が知っているものとは比較にならない練習量と時間の長さ。プロ野球担当になる前に抱いていたイメージとは全く違っていた。長いシーズンを戦い抜くための準備期間なので、当然と言えば、当然なのだが、重いプロテクターを着用するなど佐藤都に限らず縁の下でチームを支える捕手の練習は地味で過酷。投手や主砲が脚光を浴びることが多い競技において、捕手というポジションにスポットを当てるなら体を張って伝えてみる価値はあると思った。

 佐藤都ほどの打撃があれば、コンバートという選択肢もあるはずだが「捕手で勝負したい気持ちは強い」と断言する。複数ポジションについては「僕が生きる道。強みでありウイークポイントでもある。試合に出られる可能性は高くなるけど、いろいろ削られる部分を自分で補っていかなくてはいけない。でも、それを大変だとは思わない」と険しい道もいとわない覚悟も示す。

 33歳年上のアラ還記者に“プロ”としての姿勢を教えてくれた佐藤都は、最後にキャッチボールにも付き合ってくれた。近年では少ない“打てる捕手”として活躍してくれることを、期待している。

 ≪教わった「不動心」≫【取材後記】福島支局でキャリアをスタートさせた記者にとって佐藤都の母校・聖光学院には思い入れが強い。01年夏の甲子園に初出場した際も取材。福島大会決勝の翌日、休みだった記者が当時5歳だった長男を連れて伊達市のグラウンドを訪れると、斎藤智也監督、横山博英部長から、お土産にスポーツタオルをもらった。そのグラウンドに掲げてある「不動心」の言葉。ずっと「動じない心」だと思っていたが、佐藤都は「全部、説明すると長くなるので簡単に言うと、感謝の気持ち…みたいなことで、それは今も忘れてないです」。33歳下に教わってばかりだ。

 ≪鼻血出てもすぐ復帰≫この日は第2クール初日で佐藤都は午前8時15分からサブグラウンドで行われたアーリーワークにも参加。全体練習のシートノックでは「野球人生で初めて」という二塁も守った。フリー打撃では39スイングで4本の柵越え。三塁でノックを受けている時にイレギュラーした打球が左頬に当たるアクシデントで鼻血が出たが、ベンチで処置してすぐに復帰し、ライブBPでは捕手も務めた。午後も室内練習場でのノック、ティー打撃など精力的に汗を流した。

 ◇佐藤 都志也(さとう・としや)1998年(平10)1月27日生まれ、福島県いわき市出身の25歳。聖光学院では2、3年夏に甲子園出場。東洋大では3、4年時に大学日本代表。19年ドラフト2位でロッテ入団。昨季は自身初の開幕スタメンを果たし、118試合で打率.214、8本塁打、31打点。捕手としては63試合に先発出場し、盗塁阻止率はリーグトップの.361。今年1月6日に一般女性と結婚。1メートル81、86キロ。右投げ左打ち。

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