【内田雅也の広角追球】審判に生きた谷村友一さんをしのぶ プロアマ交流を推進 殿堂入りあと一歩

[ 2023年1月28日 07:00 ]

谷村友一さん(2016年11月撮影)
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 【内田雅也の広角追球】谷村友一さんの訃報が伝わったのは今月12日だった。甲子園大会などアマチュア野球とプロ野球双方で長年審判員を務めた功労者である。野球殿堂特別表彰の候補にも名を連ねており、殿堂入り発表の前日だった。

 亡くなったのは昨年7月31日。新型コロナウイルス感染症のため兵庫県川西市の病院で息を引き取った。94歳だった。遺族は故人の遺志を忠実に守り、公表を控えてきた。ただ「野球人としての父の立場もある」と多くの関係者を思い、公表したのだった。

 訃報を発信したのは母校・同志社大野球部OB会。殿堂入りの推薦団体でもあり、代表者の上野山善久さん(60=有田市市議会議員)も遺族からの連絡に驚いていた。

 訃報が報じられた13日、発表となった殿堂特別表彰で谷村さんは次点だった。当選の古関裕而氏(故人)10票に1票足らずの9票だった。

 「残念ですね。亡くなったことはもちろん、殿堂入りも残念でした」と元阪神球団社長の三好一彦さん(92)は言った。同年代の三好さんは神戸大野球部時代、同じ旧・関西六大学リーグ(今の関西学生リーグ)で戦った。同じ二塁手で「お手本にしていました」。谷村さんは1950(昭和25)年秋季リーグでは主将として優勝に貢献、最高殊勲選手(MVP)に輝いていた。遺族によると、プロ野球からの誘いもあった。「体格が劣っている(身長1メートル62)ので通用しない」と判断したそうだ。

 大学卒業後も旧関六OBが定期的に集まり、親睦を深めた。三好さんが阪神球団社長に就くと、谷村さんはセ・リーグ審判総務として甲子園球場本部席で隣同士で阪神戦を観戦していた。「球場では一線を引いていましたが、本部席で撮った写真が1枚だけあります」と大切にしていた。

 谷村さんは1927(昭和2)年、父親の駐在先、米国ニューヨークで生まれた。両親はよく大リーグ観戦を楽しんだ。「野球に興味を持ったのは母親のおへその穴から大リーグを見たこと」と話していた。5歳でニューヨークを離れ帰国したが、同年、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらのヤンキースがワールドシリーズを制している。

 父、そして母と同様、極東商事(現三菱商事)に入社後、1952(昭和27)年には社会人・京都クラブで都市対抗に出場した。また、社会人、大学、高校野球の審判員を務め、1955(昭和30)年から春夏の甲子園大会に8季連続で出場。延長18回引き分け・再試合となった1958(昭和33)年夏の徳島商―魚津(富山)戦では三塁塁審を務めた。

 「審判が自分の天職だと思うようになった」と1959(昭和34)年、商社勤めを辞め、セ・リーグ審判員に転じた。妻や親せき、先輩の反対が予想されたため、一切口にしなかった。連盟との契約書を見せ「明日からプロ野球の審判になるから」と驚かせた。

 1986(昭和61)年には史上5人目(当時)の3000試合出場を達成。同年限りで現役を退いた。出場は通算3026試合までのびた。日本シリーズ11回、オールスターゲーム6回出場。1973(昭和48)年10月22日、「勝った方が優勝」の大一番、阪神―巨人最終戦(甲子園)で球審を務めた。

 その後は1996年まで指導員として後進の育成にあたった。プロ・アマ合同の全日本野球会議で審判技術委員を務めた。双方で審判員を務めた経歴から「プロ・アマの壁をなくすため、審判員から取り組んでいこう」と先頭に立った。審判員との交流はその後も長く続けていた。全日本野球協会発行の『審判メカニクス・ハンドブック』の編集の尽力し、同書はいまも版を重ねている。

 1997年11~12月にはスポニチ本紙(大阪本社発行版)で『谷村友一のルールの達人』を50回連載してもらった。読者からの投書や質問に丁寧に返信していた。

 『My Umpiring』と題した審判日記をつけ、新聞や雑誌のスクラップ帳は数え切れないほどだった。大リーグの審判員とも交流し、米紙『USAトゥデー』や近年ではインターネットで審判クルーの動きを追っていた。春夏の高校野球甲子園大会は毎日欠かさず出かけていた。

 昨年夏、8月の誕生日にあわせ、家族で会食する店も自分で決めるなど元気にしていた。今ごろは生前交流があった島秀之助、筒井修、二出川延明(いずれも野球殿堂入り)……といった審判員の先人とも再会し、審判談義に花を咲かせていることだろう。 (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高(和歌山)―慶大卒。85年4月入社以来、野球記者一筋。来月、還暦60歳を迎える。

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