阪神ドラ1・森下翔太、高校通算57発も門馬監督「もっと打てた」 課題残した精神面

[ 2022年11月28日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」ドラ1、中大・森下(4)

東海大相模に進学し、18年の選抜・智弁和歌山戦で安打を放つ森下

 16年春。高校球界の名門、東海大相模に進学した翔太は、前年夏の甲子園大会で優勝したばかりの門馬敬治監督(現創志学園監督)から「身体能力が高い。体がしっかりしていけば、将来的に魅力のある選手になる」と一目ぼれされた。

 21年夏に退任するまで同校で甲子園通算30勝を誇った恩師が重ね合わせたのは、08年ドラフト1位で巨人に入団し、現在はDeNAで活躍する教え子の大田泰示だった。特に評価したのは逆方向への長打力。「引っ張る打球ではなくて反対方向に大きなものが打てるというのが強く印象として残っている」。入学してすぐ5月の練習試合でデビューを果たし、その頃から守備位置も三塁から外野へ移った。チーム事情の意味合いの強かったコンバート。「相模に入った頃は練習についていくだけでしんどかった。ただただ必死でした」とすぐに順応した。

 初めて迎えた夏の神奈川大会でも初戦から「4番・中堅」で起用された。「チームの戦力になるんじゃないかと。使うのなら、思い切っていい打順でいこうと思った。全試合は無理にしても、使ってみようという気持ちにさせてくれた選手」(門馬監督)。その頃から「森下翔太」の名が徐々にアマチュア球界に広がっていった。

 2年秋には主に「3番・中堅」で出場した神奈川大会から関東大会を含めた計11試合で打率・512、5本塁打、23打点の大暴れ。選抜出場を決め、3年春に初めて甲子園のグラウンドを踏んだ。

 待ち望んでいた夢の舞台は4試合で打率・267、2打点。本塁打はなかった。「あまりいい思い出がない」。智弁和歌山との準決勝では壮絶な打ち合いの末に10―12で惜敗。不完全燃焼で終えた。「注目されていた中で苦しんで、翔太は自分と向き合えなかった。大会が終わっても、現実をなかなか受け入れられなかった」(門馬監督)。課題はメンタル面だった。

 第100回大会としても注目された“最後の夏”。記念大会で神奈川には2校の枠がありながら、北神奈川大会の準決勝で敗退。再び聖地に戻ることはかなわなかった。高校通算57本塁打を残しても、門馬監督は「もっと打てた。気持ちの浮き沈みがなければ、もっと上のランクにいけた」と厳しく回想。翔太も将来に対する不安で考えを巡らせる日々を過ごした。進学か。プロ入りか。プロの世界で活躍するために必要なピースを誰よりも知っている門馬監督からは大学進学を勧められ、プロ志望届は出さなかった。(石崎 祥平)

 ◇森下 翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、神奈川県横浜市出身の22歳。小1で野球を始め日限山中では「戸塚シニア」でプレー。東海大相模では1年夏から中堅手としてベンチ入りし、3年春に選抜出場。中大では1年春、4年春にベストナイン。1メートル82、90キロ。右投げ右打ち。

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