落合博満氏 中日監督として一番最初に決めたコーチ「根本さんの遺言みたいになっちゃった」

[ 2022年11月23日 17:00 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が23日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。中日監督就任後、コーチ人事で初めて声をかけた人物について語った。

 落合氏は2004年から「全権」を任される形で中日の監督に就任しいきなりリーグ優勝。07年にはチームを53年ぶりの日本一に導いた。11年は球団史上初の2年連続リーグ優勝。任期8年間すべての年でAクラス入りを果たし、リーグ優勝4回、日本一1回の「常勝チーム」をつくり上げた。

 監督就任要請を受けた球団との交渉で「“権限は?”って言ったら、“もうお前に全部任す”っていうことで。“コーチもですか?”って言ったら、“コーチの人事から何から、球団は協力はするけども、口は出さない”っていうことでね」と全権監督が誕生。では、組閣を考える中で、初めに声を掛けたコーチは誰だったのか。

 「森繁和」。即答した後「来季、横浜で契約しないっていうのが新聞に出ててね。ああ、じゃあ、契約しないなら、だったら電話して要請するのが一番いいなって」と経緯を説明した。そして「ダイエーの当時亡くなった根本陸夫さん(ダイエー代表取締役専務兼監督など)が“万が一お前が監督やるような時あったら森繁和を使ってみろ。俺が教育してあるから絶対お前の役には立つはずだよ”っていうのが遺言みたいな形になっちゃった」と根本さんから解説者時代に薦められていたことを明かした。

 また「彼(森繁和氏)も現役辞めてから一回もユニホーム脱いでないっていうのがあってね。ユニホーム脱いでないっていうことは何かしら良いものがあるんだろうと」と考えたという。森繁和氏と現役時代に接点はあったといい「“お前からホームラン打たないからレオ人形くれ”って。もらったけども“お前からホームラン打ってねぇよな?”って言ったら“いや、打ってますよ”って言われたけど」と懐かしそうに笑った。

 「まぁ社会人の時に一緒にイタリア世界大会行ったメンバーなんでね」。ここから名参謀・森繁和氏とのコンビで中日史上最高の8年とも言われる“常勝ドラゴンズ”の歴史が始まった。

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