【日本シリーズ戦記 1987年「西武―巨人」】西武偵察隊、根本リポート…宿命の盟主対決を“走覇”

[ 2022年10月19日 17:10 ]

1987年。8回2死一塁、中前打を処理するクロマティがもたつく緩慢なプレーの間に西武・伊原三塁コーチの指示で一塁から一気にホームインし喜びを爆発させる辻
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 1987年(昭62)王貞治監督率いる巨人と森祇晶監督の西武が激突した日本シリーズで「伝説のプレー」が生まれた。11月1日西武球場で行われた第6戦、西武1点リードで迎えた8回裏1死一塁。3番打者・秋山幸二の打球はライナーで巨人の中堅、ウォーレン・クロマティの前に弾んだ。二塁ベースを蹴った一塁走者・辻発彦の視線の先で三塁コーチャー・伊原春樹の右手が回る。一瞬のためらいもなく三塁を回った辻は一気に本塁を陥れた。シングルヒットでまさか…。クロマティの緩慢な打球処理の隙を突いた西武のスピード野球に巨人ベンチだけでなく全国の野球ファンが息をのんだ。球史に残るビッグプレーには巨人を一撃で仕留める西武スコアラー、コーチ陣の周到な準備があった。

(役職は当時、敬称略)

~巨人有利も百戦錬磨・西武偵察隊が動き出した~

 1987年日本シリーズ。大方の予想は「巨人有利」だった。前年広島を撃破し日本一となった西武だが、この年は打線が振るわずチーム打率は12球団11番目の・249。一方の巨人は12球団NO.1の・281。DH制のないセ・リーグでありながら驚異的な攻撃力を誇っていた。投手陣は西武の防御率2・96に対し巨人は3・06とほぼ互角。巨人の「投打のバランス」の良さが際立っていた。優勝を決めたのは巨人が10月9日、西武は翌10日だった。「打てない西武」の「打倒巨人」の秘策がこの日から動き出した。元西武ライオンズスコアラー、根本隆。84年30歳で現役を退き、85年から打撃投手兼スコアラー。87年が3年目、シリーズ偵察も85年阪神、86年広島に続いて3度目だった。慎重居士の森祇晶監督は「リーグ優勝を競うライバルチームを刺激する」と優勝決定までシリーズ用の偵察は許さなかった。

 「優勝が決まってゴーサインが出た。(偵察の前)森監督が必ず言うのが相手のフォーメーションや守りのシフトを見てこいということ。バントの守備隊形はどうなのか。ノーアウトなら、この打者で打つのかバントさせるのかなど。緻密なリポートが求められていた」

 根本は巨人を追って広島に飛んだ。スコアラーには「投手担当」と「打者担当」がいる。根本は後者。「投手のために野手のリポートを作成する。レギュラーを一人ずつ。どういうバッティングをするのか。どのカウントでどういう球を打つのか。そのレポートを作成する流れでその選手の走塁や守りもチェックしていた」。中堅・クロマティの動きに目がとまった。「初めて見たときに左右の(打球)処理が遅い。ホントかよというぐらい緩慢な動きをしていた」

~スコアラー(秘)メモ ターゲットは緩慢なクロマティ~

 シリーズを9日後に控えた10月16日、森監督は「巨人集中分析」のため西武球場近くの旅館に入った。これに合わせて根本はリポートを仕上げていった。

 「選手個々のリポートの項目には野手であれば作戦面、例えばバントがうまいか、下手か、走力はどうかなどを書き込む欄があった。それから【守備力】では肩がいいか。打球へのアプローチが速いかなど。【その他】という項目もあって、そこには直接プレーには関係のない“チャンスに弱い”“精神的に弱い”などの情報を書き込む。クロマティについては【その他】の欄で“左右の処理が緩慢である。次の塁を狙える。巨人はセンターラインの守備が弱い”と書いたと記憶している」

 根本のリポートは監督、コーチに提出された。「ホントにマル秘の判子を押して渡すんですよ。選手に配るときには“シリーズ終了と同時に回収するよ”といいながら渡す。でも半分ぐらいしか返ってこないけど」。根本のリポートを手にした森監督は「シリーズメモ」の最初の項目に「クロウの守備」を書き記した。当然三塁コーチャーの伊原春樹の頭にもインプットされた。伊原はこの年から三塁コーチャーを任されていた。研究熱心。積極的な指示で「走る西武」を支えていた。シリーズ直前の野手ミー
ティング。伊原がいった。

 「クロウの動きは緩慢だし、捕ったらふわーって返球するから次の塁を狙えるぞ」

~清原が”中犠飛”で二塁から本塁突入 それでも巨人は…~

 10月25日シリーズ開幕。第1戦は「予想通り」に巨人の圧勝だった。第2戦、工藤公康の快投で1勝1敗。第3戦は西武がわずか4安打ながらジョージ・ブコビッチ、石毛宏典の2発で江川卓を沈めた。第4戦は槙原寛己に零敗。「打てない西武」はシリーズでも変わらなかったが、第5戦は巨人の守りのミスを見逃さず秋山幸二、ブコビッチが畳みかけて王手をかけた。

 迎えた西武球場での第6戦。2回、巨人ベンチが衝撃を受けるプレーが飛び出した。先頭の清原和博が水野雄仁から左前打。安部理が送って1死二塁。ブコビッチの打球は中堅方向へ舞い上がった。クロマティがバックスクリーン前のフェンス近くで後ろ向きで捕球した。清原がタッチアップ。伊原の右手はグルグル回っている。「ホームまで行け!」だ。勢いよく三塁を回った清原だが、一瞬の迷いからか5、6メートルオーバーランしたところで止まってしまった。この時、巨人の守備が乱れた。遊撃・鴻野淳基へのクロマティの送球がそれ、三塁へ戻りかけた清原は再び本塁へ向け走り出した。三塁送球を受けた原辰徳は清原が帰塁していると思い“空タッチ”急いで本塁へ送球するが、山倉和博に体当たりしながら突っ込んだ清原は先制のホームを踏んだ。結果的に「犠牲フライ」(記録はクロマティの送球エラー)で二塁からホームイン。西武ベンチは沸いた。巨人はこれが、さらなるビッグプレーにつながることも知らず「無反省」のまま、ただただ消沈していた。

~8回辻出塁 秋山がクロウの前へ中前打「行ける!」~

 西武は3回に清家政和のソロで追加点。巨人は7回、4番・原が工藤からシリーズ2号を放ち1点差とした。巨人ファンの逆転への淡い思いを断ち切ったのは辻発彦だった。8回1死、鹿取義隆から三遊間安打。シーズン中ならばフリーで盗塁を許される場面。サインを見た。「そうしたら走らんといてくれ、というサインが来た。安全に行けということだと思った」。次打者は秋山。2球目、打球は中堅方向へ飛んだ。二塁へスタートを切った辻の頭の中をミーティングで示された「クロウのデータ」が駆け巡った。

 「緩慢なプレーというのはシーズンの戦いを見て分かっていることだった。当時土日のパはデーゲーム。巨人はナイターだったからテレビをよくみた。ミーティング以前に予備知識としてあった。それをミーティングで確認した」

 打球は左中間寄り。二塁に近づいたとき、クロウが緩慢にアプローチしているのが見えた。「クロマティの球に対する寄り。安全、安全に行こうと遠回りするから。ちょっと右中間、左中間に寄れば…。特に左中間寄りに関してはクロマティは左投げ。投げるのに時間がかかるから間違いなく行けると。左中間に行った瞬間にサードは楽勝で行けると思った」。ためらうことなく二塁を回った。

 「クロウを見ながら二塁を回った瞬間に伊原さんを見ている。見た瞬間、伊原さんのコーチャーズボックスのポジションと、こっちの顔を見て何か(本塁へ)回しそうな感じがした。だから1%も力を緩めていない(スピードを落としていない)。普通、ベースを回ったところで“ああこないな、サードで終わりだな”と思う。でもその時は(二塁)ベース回って伊原さん見て感じちゃったから」。 三塁へ向かって走る辻は中堅・クロマティのプレーを見ることはできない。

~「目で感じていた」本塁突入 伊原コーチの右手が回った~

 「ひょっとしてクロウがはじいちゃったのか、それともカットマンに高投したのかとか。何か起こったのかなと(通常の)ショートのポジションぐらい(の位置で)で感じるものがあった」

 左中間寄りにゆっくり走りながら打球を押さえたクロマティは、2度目のモーションで遊撃手・川相昌弘に山なりの返球。後に巨人不動の「2番・遊撃」となる川相だが、途中出場となったこの試合が日本シリーズ初体験だった。川相は打者走者・秋山の二進を頭に入れながら中継に入っていた。クロマティの返球は右方向に高くそれた。体が伸び上がった状態で捕球した川相。左背後の動きを感じ取っていなかった。

 辻は三塁を回り、さらに加速した。辻の動きに気づいた川相はすぐに本塁に送球しようとしたが、投げられない。2度目のモーションで送球したが、山倉のキャッチャーミットに達したときには辻は滑り込み左手でベースタッチ。立ち上がってガッツポーズをしていた。

 「巨人は“どうせ三塁で止まっているからバッターランナーを二塁にやっちゃいけない”というのがあったと思う。だからクロマティもセカンドに返球したと思うよ」

~大詰め9回 塁審から合図「キヨ大丈夫か?」~

 スーパー走塁で得た3点目。辻は「ここで2点差、勝ったと思った」と確信した。9回表2死、思わぬことが起きた。一塁塁審の寺本勇が辻に“サイン”を送ってきた。「どうしたの?」と言ったら「キヨ大丈夫か?」と。清原が泣いていたのだ。85年巨人に裏切られたドラフトから2年。「行ったらキヨの顔がくしゃくしゃになっていた。キヨは誰よりも勝ちたいと思っていたと思う」若き主砲の気持ちを静めるように肩に手を置いた。3度目のシリーズだった辻にとっても巨人との日本シリーズは特別だった。

 「阪神、広島とやった。緊張はなかったけど、やっぱり巨人とやったら凄く緊張した。巨人を倒したいというのが野球人としてはある。野球は打つだけじゃなくて、走って守る。当たり前のようにやらなきゃいけない。でも巨人はできていない。見ていてぬるいなと思っていた。だから負けたくなかった」

 昭和の最後となった宿命のGLシリーズ。盟主の座を争うバトルを西武が“走覇”した。
(スポニチアーカイブス2012年9月号掲載)

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