【日本シリーズ戦記 2006年「日本ハム―中日」】新庄劇場「シンジラレナーイ」引退ストーリー

[ 2022年10月17日 17:10 ]

2006年、グラウンドに投げ込まれた色とりどりの紙テープを踏みしめながら、スタンドのファンの声援に応える新庄
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 サヨナラ弾を打ったわけでも、MVPを獲ったわけでもない。優秀選手にすらなっていない男がオーラをまとった主役として輝いた日本シリーズがある。2006年「中日ドラゴンズVS北海道日本ハムファイターズ」。日本ハム・新庄剛志外野手(現日本ハム監督)。大舞台の幕が開く186日前、東京ドームで行われたオリックス戦。2号ソロ&満塁3号を放ったこの試合で突然、引退を表明。去りゆく34歳のスーパースターに導かれた日本ハム戦士たちが覚醒。レギュラーシーズンを1位で終えるとプレーオフも制し、25年ぶりにパ・リーグを制覇した。迎えた日本シリーズ。勝負強さを発揮した新庄と「チルドレン」たちの爆発力でオレ竜を撃破。北の大地で「シンジラレナーイ 漫画みたいなストーリー」の新庄劇場が結実した。(役職は当時、敬称略)

~監督より先に日本一胴上げ「漫画みたいなストーリー」~

 日本シリーズ第5戦が行われた10月26日、雨上がりの札幌は寒かった。気温3・2度。日本ハムは王手をかけていた。地元胴上げを期待する道産子たちの熱気で札幌ドームの中だけは別世界。その瞬間が迫っていた。

 9回アレックス・オチョアの打球が左中間に上がる。左翼・森本稀哲が伸び上がるように捕ると、そのまま主役に抱きついた。新庄剛志は弟分の左肩に顔を伏せ号泣した。二塁後方の外野フィールドでの胴上げが始まった。舞っているのはトレイ・ヒルマン監督ではなく新庄だ。1回、2回…日本一の胴上げで選手が最初に持ち上げられるのは異例のこと。誰もが認めていた。第57回日本選手権シリーズは紛れもなく「新庄のシリーズ」だった。歓喜の記者会見。新庄はすがすがしい笑顔でいった。

 「(強運を)持っているわ、オレ、ほんと、この漫画みたいなストーリー。出来過ぎって思いません?今後、体に気をつけたいと思います」

 漫画みたいなストーリーが始まったのは開幕間もない4月18日だった。オリックス戦の2回、ダン・セラフィニから左翼へ2号ソロを放った。プロ球団の多くは試合中に本塁打や適時打が出た場合、広報を通して報道陣に「試合中談話」を流している。新庄の場合、本塁打を放つと、この談話で「…打法」と命名するのがお約束だった。当時の高田繁GMは広報からの突然の相談に驚いた。「広報が“こんなコメントですが出していいでしょうか?”と言ってきた。止めるわけにはいかないから」

~本塁打談話で引退発表「今年でユニホーム脱ぎます打法」~

 新庄の発信した“談話”とは。

 『28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法』 

 驚いたのは報道陣も同じだ。試合中、新庄に真意を確認することもできない。7回には3号満塁弾。目頭をぬぐい向かったお立ち台では自らマイクを握った。引退は本当だった。

 「阪神で11年、アメリカで3年、日本ハムで3年。今季限りでユニホームを脱ぐことを決めました。残りシーズン、今まで以上に楽しみたいと思います」ホームゲームとはいえ、場所は札幌ドームではなく東京ドーム。スタンドも突然の“引退表明”にどう反応していいか分からない。静寂、ため息。日本ハムナインも言葉を失った。残り試合のことを問われるとこう言った。

 「楽しみます。最後に頂点(日本一)に立てたらもう…死んじゃうかもね」

 新庄は残り少ない現役生活を新たなチャレンジの機会とした。4月30日のソフトバンク戦では襟付きのアンダーシャツで出場。5月18日、古巣・阪神との交流戦では、球団の厚意で記念に贈られた背番号「5」の縦じまユニホームで試合前ノックに登場、虎党が沸いた。豊蔵一セ会長には「マナー違反を繰り返すようなら何らかのペナルティー」と怒られたが…。新庄のパフォーマンスに乗せられるようにチームは走る。5月11日にはサヨナラで2201日ぶり、21世紀初の首位に立った。この試合の相手は落合竜。秋の決戦を戦うことになるとは知る由もなかった。

~背番号「63」でレギュラーシーズン1位決めた~

 7月に入っても勢いは衰えない。7日にはダルビッシュ有の力投で45年ぶり球団タイの11連勝。同31日には新庄が阪神時代の91年9月10日にプロ初出場した思い出の東京ドームで13号2ランを放った。8月西武、ソフトバンクとの三つ巴の争い。9月11日、2年ぶりのプレーオフ進出を決める逆転弾を放ったのも新庄だった。9月26日2位の日本ハムはソフトバンクの大エース斉藤和巳をKO。西武が敗れ首位浮上。翌27日最終戦、新庄は背番号「63」で登場した。「(阪神に)入団したときの番号。最後の試合は63でいくと決めていた」新庄の希望を聞き入れた球団はパ・リーグ連盟に届け出。一時的に「63」をつけている渡部龍一を「68」に変更していた。新庄はノーヒットに終わったがチームはソフトバンクを撃破。レギュラーシーズン1位をつかみとった。試合後、新庄自らがプロデュースした引退セレモニー。スポットライトの中、中堅の守備位置でグラブ、リストバンド、63番のユニホームを並べた。

 2006年のパ・リーグプレーオフはこの年からレギュレーションが変更された。04、05年は5試合で3戦先勝。レギュラーシーズン1位チームに第2ステージの1勝アドバンテージはなかったが06年は「1勝」のアドバンテージが与えられた。日本ハムは4試合で2勝すればリーグ優勝に手が届く。

~斉藤討ち 劇的サヨナラで25年ぶりリーグV 涙、涙/…~

 第2ステージ、相手はソフトバンク。第1戦、同点に追いついた3回2死一、二塁。新庄が杉内俊哉の外角139キロを素直に右前へはじき返す。二塁から小笠原道大が本塁に飛び込み、チーム25年ぶりのリーグ制覇に王手をかける決勝打となった。第2戦の相手先発は斉藤和巳。0―0のまま迎えた9回裏。2死一、二塁稲葉篤紀の打球は二塁ベース方向へ。二塁・仲澤忠厚が好捕。遊撃・川崎宗則にトスして封殺を狙ったが川崎の足がベースから離れる。川崎の体勢が崩れている間に二走の森本がホームに達した。サヨナラ。ネクストバッターズサークルにいた新庄がヒーロー稲葉に突進する。マウンドにうずくまる斉藤。歓喜と絶望のコントラスト。ポストシーズン史に残るシーンだ。優勝会見に臨んだ新庄の目が潤んでいた。「なにがうれしいかっていうとすごくみんな良いやつなんですよ」。寡黙な小笠原がいった。「あと4つ勝ってツーさん(新庄)を胴上げしたい」。新庄劇場最終章、日本シリーズ。落合中日が待ち構えていた。

~落合竜と激突 1勝1敗 最終章の舞台は札幌へ~

 日本シリーズ出場経験がない新庄だったが、日本人として初となるワールドシリーズには出場している。ジャイアンツ時代の2002年。3勝3敗で迎えた第7戦、3点を追う9回1死一、二塁で代打出場。空振り三振に倒れ試合にも敗れたが、世界中が注目する舞台で6打数1安打。貴重な経験となった。開幕戦。動きのぎこちないナインにいった。「楽しめ」第1打席は2回。川上憲伸の内角球が左のひじ当てをかすめる死球だった。両手を叩きながら一塁へ向かう。その裏、2点を先制されてもすぐさま反撃に転じる。フェルナンド・セギノールの右前適時打で1点差に詰め寄り、なお1死満塁から川上のカーブを左翼に運ぶ。シリーズ初打点を挙げてベンチに戻るとハイタッチだ。ダルビッシュ有の力投空しく初戦は落としたが、下は向かない。第2戦は足で魅了した。1点を追う7回。稲葉出塁の後、新庄の右前へのポテンヒットと二盗で築いた2死二、三塁で金子誠の中前打は強肩アレックスの正面へ。三塁を回るとさらに加速した。本塁に立ちはだかる谷繁元信に左肩からぶつかった。体を反転させると、右手でベースに触れた。泥だらけになってつかんだ決勝点。

 「(1勝1敗になって)面白くなってきた。楽しくなってきたよ。札幌?楽しみだね」

~森本が金村が「新庄チルドレン」が大暴れ!王手だ!~

 第3戦は地元札幌。北海道で日本シリーズが開催されるのは史上初のことである。新庄は3打数ノーヒットだったが、同じ車に乗って球場入りする弟分・森本がチームを牽引した。1点先制された直後の初回、朝倉健太の初球得意シュートを叩き右前打。8回にも先頭で中前打。稲葉の3ランにつなげた。森本は10月12日のリーグ優勝時にスポニチ本紙に手記を寄せている。「『ひちょり舞台』なんて見出しで扱ってもらえるようになりましたけど…。子供のころから周りの人を笑わせるのが大好きで、それを見抜いてくれたのが新庄さん。『お前ならできるよ』って引き出してくれたんです。メジャーからマイナーに落ちた時の話もしてくれた。とにかくここというチャンスは必ず来る、そこで結果を残せと。お酒も、お前ちょっと飲み過ぎ、体壊すぞと言われてからは控えるようになりました」“お兄ちゃん”を最高の形で送り出したいという思いが森本を積極的にさせた。8回ダメ押し3ランを放った稲葉は新庄の1学年下。1年遅れで日本ハムに加入した。札幌ドーム恒例の「稲葉ジャンプ」地元では知らない者はいなかった
が、全国区の地上波で放送されることはほとんどない日本ハム戦。シリーズ中継を見たプロ野球ファンは揺れる画面に度肝を抜かれた。森本、稲葉の活躍で勝ち越し。重要な第4戦。先発を託されたのは戦いの輪からはぐれていたエースだった。

 レギュラーシーズン1位争いまっただ中の9月24日ロッテ戦に先発した金村暁は3点リードの5回2死満塁でヒルマン監督から交代を命じられた。あと1人で5年連続10勝の権利を得て、あと1回1/3で6年連続規定投球回数に到達する場面。試合後、金村は監督批判をぶちまけた。「絶対に許さない。外国人の監督だから、個人の記録なんてどうでもいいと思っているんじゃないの。顔も見たくない」。この発言を重く見た球団は翌25日2軍落ちとプレーオフ出場停止、罰金200万円の処分を下した。

 それから1カ月後、日本シリーズでの復帰登板。宮崎フェニックスリーグの調整中、新庄から「待ってるよ」何度もメールをもらった。04年に新庄にもらった言葉「ENJOY」を帽子のつばに書いている信奉者。この日の試合前には「楽しめよ」。金村が「楽しめないかも」と弱音を吐くと「そんなん見たら後ろから蹴り上げるぞ」と心をなごませた。初回のマウンド。金村はスタンドに向かって5度頭を下げた。吹っ切れた。5回を5安打無失点の力投。勝利のハイタッチの列で新庄と抱擁を交わした。新庄はひと言「ありがとう」。「僕の方が“ありがとう”なのに…」。みそぎを果たしたエース。新庄が束ねたファイターズが「日本一」に王手をかけた。

~第5戦はダル 新庄ラスト打席、涙でボールが見えない~

 第5戦の先発はダルビッシュ有。12勝と2年目に大ブレークしたが、入団当初は暗闇をさまよっていた。04年ドラフト1位で入団したが、2軍スタートのキャンプでパチンコ店での喫煙が発覚。無期限謹慎処分を受けた。6月に1軍に昇格、周囲の反応は冷ややかだった。そんなとき「有ちゃん」と声を掛け、1軍の居場所をつくってくれたのが新庄だった。

 王手をかけた大一番。地元胴上げには最後のチャンスだ。7回1/3を1失点。打線の勢いを引き出した。新庄は6回に二塁内野安打。これが現役最後の安打となった。稲葉の右中間ソロで3点差とした8回、現役最後の打席。涙でボールはかすんだ。初球を見逃し。マスク越しに谷繁が「泣くな、真っすぐしか投げないから」とつぶやいた。体がよじれるほど振った。こん身のフルスイングこそが、新庄が新庄である“証”だった。空振り三振。最後までらしさを失わなかった姿に、万雷の拍手は1分近く鳴りやまなかった。

 奇跡の胴上げ。その時は来た。「きょうが最高の思い出になります。背番号1?ひちょりにつけてもらいたい。僕の気持ちはそうです」

 森本が泣いていた。ハム戦士も泣いていた。ヒルマン監督は勝利監督インタビューで叫んだ。「シンジラレナーイ」。雪が少し舞った北の町札幌。新庄劇場は静かに幕を下ろした。
(構成・浅古正則)

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