ヤクルト・高津監督独占手記 V2支えた「無形の力」 負けない雰囲気にノムさんの言葉よみがえる

[ 2022年9月26日 06:45 ]

セ・リーグ   ヤクルト1-0DeNA ( 2022年9月25日    神宮 )

<ヤ・D>サヨナラで優勝を決め胴上げされる高津監督(撮影・会津 智海)
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 就任3年目でリーグ連覇に導いたヤクルト・高津臣吾監督(53)が、スポニチ本紙に独占手記を寄せた。新型コロナウイルスの集団感染など、初優勝だった昨年よりも苦しい道のりだった今季。昨年に続き、チームへの思いとファンへの感謝をしたためた。

 スワローズファンのみなさん。29年ぶりのリーグ連覇を果たすことができました。決して簡単な道のりではありませんでした。コーチ、選手、球団スタッフが一戦一戦、覚悟を持ってスワローズらしくのびのび戦ってくれた結果だと思います。みんな、とても頼もしかった。そしてファンのみなさんは常に熱い応援をしてくださいました。本当にありがとうございました。スワローズファンのみなさん、優勝おめでとうございます!!

 92、93年以来の連覇。当時は現役で、自分のことで精いっぱいだった。勝たなきゃいけないって一選手としての気持ちが強かった。今は同じ気持ちなんだけど、ちょっと違う。何て表現したらいいか。少し難しいかな。

 今年は開幕時に中村がいなくて、開幕直後にヤス(奥川)やサンタナがケガをして…。“あの人がいたら”とか言ってはいけないかもしれないけど、やっぱりその時々でしんどかった。でも、5、6月は投打がかみ合って勝つことができた。負けない雰囲気があった。目に見えない力、野村監督が昔、「無形の力」って言っていたけど、まさにその通りかもしれない。去年を経験したことが、いろいろなものを変えたんじゃないかな。僕も含め選手みんながとんでもなく成長している。勝つ喜びも、自信もついた。負けた悔しさも今まで以上に悔しく思っているかもしれない。

 ただ、そんなにうまくいくはずがないとも思っていた。7月にコロナの集団感染。感染対策は球団全体で気をつけていたけれど、僕自身も感染してしまった。野球ができないつらさは、米国でシーズン中にクビになったときのつらさに似ていた。昨日までのチームメートの試合を自宅のテレビで見る。「打たれて最悪です」とかいう人はたくさんいるけれど、本当の最悪はやっぱり野球ができないこと。グラウンドに立ちたいけど立てない悔しさ、悲しさ。つらかった。でも、療養期間が明けるまでは家でできることをやろうと切り替えた。

 毎日、スワローズの試合を中心にセ・リーグの試合を3画面で同時に見た。試合後にオンラインでミーティングして、気づいたことは伝えた。でもその場にいないと感じられないものの方が、何倍も多かった。凄く複雑だった。自分も感染したけど、感染した人、全員にラインをした。「哲人(山田)どう?」とか「ムーチョ(中村)どう?」とか。彼らも凄い責任感と野球に飢えているから「できます」「行きます」って絶対に言う。ただ、選手は復帰してからも、やっぱりなかなか調子が上がらなかった。まだ無理だと思いながら「いや、もう行けます」とか。相当無理してやっているんだろうなと思ったから、こちらで何度もストップをかけた。早めに代えよう、今日はもう試合では使わないようにしようとか。幸いなことにピッチャーがあまり感染しなかったのが凄く大きかった。

 今年は勝利とともに育成も大事だと思っていた。僕の今年のヒット作品は「おかちゃん(長岡)」。キャンプにつれていくのもどうしようかと思っていたくらいだけど、この1年かけてずっと我慢したかいがあった。内山壮もキャッチャーで使って。ここで代えた方がいいと思ったのは10回や20回じゃない。でも、何年か後にチームを引っ張る存在にしないといけない。ぐっと我慢の毎日だった。

 実はシーズンに入ると、なかなか寝られない。2時間おきくらいに目が覚める。体重も昨年のシーズンインから比べると、かなり落ちた。この年でユニホームを着て、若い選手と一緒に野球ができる。凄い幸せだよ。体重が落ちるくらいで、いい方法が見つかる、勝てるのなら、別になんとも思わない。

 昨年、12月2日に野村監督のお墓に優勝の報告をさせてもらった。失礼だと思いながら、自分もお墓も入れて自撮りで写真も撮ってきた。今年も全てが終わったら、連覇の報告をしに行きます。(東京ヤクルトスワローズ監督・高津臣吾) 

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