【福留 引退スピーチ全文】野球人生が始まったこの場所で、声援に包まれてユニホームを脱げる僕は幸せ者

[ 2022年9月23日 22:33 ]

セ・リーグ   中日3-9巨人 ( 2022年9月23日    バンテリンD )

<中・巨>引退セレモニーで涙を流す福留(撮影・椎名 航)
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 中日・福留孝介外野手(45)が、引退試合となった23日の巨人戦に、9回の守備から登場した。これまでNPB通算で1952安打、米大リーグでは498安打を放ち、日米通算2450安打を放った竜のレジェンドだが、最後はこだわりの右翼に入ってライトスタンドの竜党に別れを告げた。9回に登板したのは根尾。福留がバックで守る“熱い”展開で、打球は飛んでこなかったが、レジェンドに配慮する終幕となった。

 9回の打席は鍬原が相手となった。1死無走者で迎えると、2球目を中堅方向に打ち上げて、結果は二飛。それでもベンチに戻る福留には万雷の拍手が巻き起こり、ベンチ前では立浪監督と抱き合って涙をこらえながら感慨にふけった。

 試合後、セレモニーに臨んだ福留が、ファンに向けてメッセージを送った。また、立浪監督らから花束を受けると、涙をこらえきれず、男泣きする場面もあった。

 以下は、スピーチした福留の言葉。

 まず始めに、今日このような引退セレモニーを開いていただきました中日ドラゴンズ球団、そして立浪監督をはじめ、コーチ、選手、裏方のみなさん。そして最後まで球場に残っていただきましたファンの皆様、本当にありがとうございます。

 小学生の時に串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームに惹かれ、そしてその中にいた立浪監督に憧れ、プロ野球選手を目指してきました。1998年、星野監督の計らいでファン感謝デーに呼んでいただき、そして後ろにありますバックスクリーンの扉のところから一人で出てきた時、その恥ずかしさ、今でも鮮明に覚えています。その時から僕のプロ野球人生がスタートしました。

 24年間、素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者の下、プレーさせていただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い「打撃を一からつくり直そう」そう言って毎日バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形で固まったまま。そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って始めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てたのを思い出します。

 その後、リーグ優勝、日本一。本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。しかし日本一になったときに自分自身、故障でその場所にいられなかった。その悔しさ、その気持ちも、ここまでプレーを続けて来た原動力だったと思います。

 その後、海外、阪神タイガースでプレーをさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで、熱狂的なファンのみなさんの声援の中でプレーさせていただき、そして、最後の甲子園球場の時には、ライトスタンドから大きな「福留コール」をいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。

 2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう1度このユニホームでプレーできたこと。そして自分の野球人生がスタートしたこの場所で、ファンのみなさんの声援に包まれてユニホームを脱げる僕は本当に幸せ者です。

 最後に、24年間戦い続けることのできるこの体を産んで育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、1番近くで応援し、支えてくれた和枝、颯一(はやと)、桜颯(はるか)、本当にありがとう。僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンのみなさん、これからもドラゴンズのご声援、よろしくお願いします。24年間、温かいご声援、本当に、本当にありがとうございました。

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