【内田雅也の追球】台風一過の秋晴れ甲子園 心が奮わなければうそである

[ 2022年9月20日 08:00 ]

<神・ヤ>甲子園球場で明日の試合の中止が発表される(撮影・平嶋 理子)
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 台風は明治末期に生まれた言葉という。与謝野晶子が1914(大正3)年発表の随筆『台風』で<台風という新語が面白い>と書いている。<従来の慣用語で言えば、この吹き降りは野分である。野分には俳諧や歌の味はあるが、科学の味がない>。大正初期にはまだ新しい言葉だった。

 雨戸を閉め切って執筆していると<雨風の音を聴きながら電灯のついた書斎でこれを書いていると、なんだか海の底に座っている気がする>。

 <良人(おっと)>の与謝野鉄幹は電灯の下、10種近い新聞を読んでいた。この年7月、第1次世界大戦が始まっていた。<欧州にはいま戦争という怖(おそ)ろしい台風が吹いている>。

 戦争は足かけ5年におよび、戦闘員、民間人約3700万人が犠牲となったと記録にある。

 <実際の戦争は危険多くして損失夥(おびただ)し>と正岡子規が随筆『筆まかせ』に書いている。自身の愛した野球の面白さを紹介する文章である。<ベース、ボール程愉快にてみちたる戦争は他になかるべし>

 台風14号の影響で甲子園球場の阪神―ヤクルト戦は前日に早々と中止が決まっていた。風雨強まるなか、これを書いている。『台風』を読み返し、子規が戦争にたとえた野球の文章を思い返した。今も戦争はある。ロシアのウクライナ侵攻はまさに「怖ろしい台風」ではないか。

 結核を患っていた子規は日清戦争の従軍記者として遼東半島に渡り、帰国の船中で喀血(かっけつ)した。以後、療養生活に入るが、脊椎カリエスを発症し、病床に伏す日が多くなった。

 それでも、元気なころの自身を思い、野球に関する歌を書いた。

 国人(くにびと)ととつ国人と打ちきそふベースボールは見ればゆゝしも

 九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり

 子規は1902(明治35)年9月19日、永眠した。この日は糸瓜忌(へちまき)だった。

 きょう20日の甲子園は台風一過の秋晴れだろう。阪神は残り6試合、クライマックスシリーズ(CS)進出争いの最後の戦いである。戦争も病気もないなか、存分に野球ができる。心が奮わなければうそである。 =敬称略=
 (編集委員)

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2022年9月20日のニュース