【阪神・糸井 引退会見一問一答(2)】阪神での6年間「甲子園で初めてプレーして胸が高鳴った」

[ 2022年9月13日 14:01 ]

<糸井引退会見> 笑顔で心境を語る糸井(撮影・大森 寛明)
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 ――17年からは阪神。この6年間はどんな時間

 「いやあ、やっぱりパ・リーグから移籍してきて、本当に衝撃を受けたというか。ファンの声援、熱狂的なファンの声援、マスコミとかもそうですけど(笑)、全然違うなと。そこに本当に衝撃を受けました。そんな甲子園球場で初めてプレーさせてもらって胸が高鳴ったというか、長年やっている中でタイガースに移籍してきても、すごい胸が熱くなったというか。そんなところで野球ができて、最後そこで終われるというのは僕の中で本当に幸せです」

 ――メディアを通して「勝ちたい、絶対勝つ」と話してきた。阪神での優勝への思いが強かった
 「はい。もちろん。FAの時に力を貸して欲しいと言われて入団したので、絶対に優勝は経験したかったんですけど、それはちょっと心残り。できなかったというのは僕の中では心残りなんですけど、これからそれは今の選手たちが絶対に叶えて欲しいなって。今年もまだチャンスはありますし」

 ――糸井選手と言えばケガに苦しむ時間が多かったが、その中で支えとなったものは
 「支えたもの?ケガをして支えた?そうですね、やっぱり病院の先生、治療院の先生には本当にお世話になりましたし、もうホンマにできひんくらいの体になったこともあった。それでもやっぱり野球が大好きですし、常に向上心というのを持ってやってきたので、常に満足することなく、また明日、また明日と言い聞かせてやってきた。そういうのがあったと思います」

 ――本当に数々の記録を残してきたが、一番誇れる記録は
 「記録ですか?そうですね…首位打者とか、盗塁王とか記録、タイトルを獲らせていただきましたけど、誇れるとなると、記録ではないんですけど、やっぱりピッチャーから野手になると決断した時からの出来事というのは、アスリートとして、選手として誇れるかなと思います」

 ――当時は投手から野手で大成した例も少なかった。その中で結果を残したが、できる自信はあった?
 「正直…ありました。ハッハッハ。そうですね、すいません質問もう一回いいですか(報道陣爆笑)」

 ――投手から野手に転向。なかなか例がない中、糸井選手を突き動かしたものは
 「質問変わった(笑)。いやもうやっぱり本当にその時にこの世界の厳しさ。2年くらいで『もう糸井君使えないよ』と言われたので、本当に厳しさというのを思い知らされました。そこからやっぱり僕も練習やったり、全て見直して打ち込むことにしました」

 ――糸井選手は記録だけでなく、記憶に残る選手だった。一番、印象に残っていることは
 「難しいなあ…、記録、記憶に残ると言って頂いてうれしいんですけど、いっぱいありすぎてもう、昨日も思い返していてありますけど…。WBCもそうですし、この3球団のことだったり、でもやっぱり甲子園で初めて大歓声の中でプレーさせてもらった時のあの興奮というのは、本当に忘れません。本当に忘れないですし、幸せでした」

 ――そして、阪神には糸井選手を慕う後輩たちがたくさんいる。改めて後輩たちへ託す思いは
 「本当にタイガースには、すごい、いい若い選手もいますし、これだけ年が離れていても、仲良く接してくれたり、まあ、健斗(糸原)はちょっと生意気でしたけど(笑)仲良く接していただいて、本当に若い選手、後輩にはすごく感謝しています。これからね、いまもみんな活躍し始めていますけど、もっともっと、若い子らが出てくると思うので、また、そういう後輩の活躍というのは自分のことのように思ってい見ていようかなと思います」

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