落合博満氏 ロッテ入団2年目、干されかけても少ない好機で結果 1軍定着を決めた2本のアーチ

[ 2022年9月9日 17:20 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が9日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。ロッテ入団1年目、2年目を振り返った。

 1978年にドラフト3位でロッテに入団した落合氏。社会人の東芝府中を経て、25歳シーズンが1年目となった。1年目は1軍で36試合に出場、打率.234、2本塁打、7打点。即戦力として期待される社会人出身の選手としては、物足りない結果となった。入団時の監督は山内一弘氏。その打撃理論について「山内さんからバッティングを教わったけども、ボールが飛ばなくなっちゃってね。ぶん殴られるの覚悟で“すみません。言っていること理解できないんで、もう放っておいてください”って言って、放っておかれた」と回想した。

 危機感も持って臨んだ1980年の入団2年目も、3月の大洋とのオープン戦で左足首を負傷し、前期を棒に振った。「レフトを守ってる得津(高宏)さんと衝突してね。それで足を怪我して、で、ずっとファームにいた」と落合氏。リハビリを経てイースタン・リーグに出場し始めたが「当時は(打率)4割打ったら1軍に上げてもらえるぞっていうような触れ込みがあったんだわ。で、それをファームで4割打ってても、なかなかお呼びがこないんで、“あっ、これはもしかしたら使ってもらえないな”っていう。で、5試合連続ホームランを打って、それでもお呼びがかからない」と干されているような感覚があったことを吐露した。

 5月にはイースタン・リーグの大洋戦で通算88勝の佐藤道郎から特大弾も放った。「とてつもないデカいホームランだったよ。ほんで、1軍(で活躍する)ピッチャーだろ?“いやぁ、俺は1軍のピッチャーから打てるんだ”っていうようなね、衝撃的な打球だったから」と自信を深める一打となったという。80年のイースタン・リーグ成績は、34試合に出場し、打率.377で11本塁打と打ちまくったが、この年の1軍初出場は7月12日の近鉄戦(日生)だった。

 その初出場した試合で7回1死から代打出場した落合氏は近鉄のエース左腕、鈴木啓示氏から左中間へソロを放つ。「後期の5試合目か6試合目で上に呼んでもらって、そこでNHKの放送日で7回の2アウトだったかな(実際は1アウト)。“ピンチヒッターで行ってこい”って言われて、鈴木啓示さんから左中間にホームラン打って、初球をね。だから、“誰だ、どういう選手だ”っていう紹介される前に打っちゃったっていうような感じじゃないのかな」と落合氏。「次の日からスタメンで使ってもらって、(毎試合)2打席くらいの感じかな」と、この本塁打をきっかけに後期は57試合に出場、打率.283、15本塁打、32打点の成績を残した。

 自分の打撃フォームを確立するため、落合氏は「バッティングフォームはいろんな人のを見たよ。よく見てた。よそのチームの選手のバッティングも。自分のところの(試合前)練習が終われば、シートノックまで時間があるわけだから、ベンチで座っていろんな選手のバッティングフォームを観察していたよ」と語る。

 数少ない機会で印象に残る結果を残し、1軍定着を果たした。「(チャンスを)ものにしたって事じゃないのかな」と2年目について語った。

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