ヤクルト・つば九郎、2000試合まであと2試合 94年から“鳥の目”で見てきた歴代ベストナイン選出

[ 2022年8月2日 05:20 ]

ヤクルトの球団マスコット「つば九郎」
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 前“鳥”未到の2000試合出場前祝いだ。ヤクルトの球団マスコット、つば九郎が、あと2試合で主催2000試合出場を達成する。現在、新型コロナウイルス陽性で離脱中だが、球団が3日の中日戦(神宮)での復帰を発表。順調なら4日の同戦で節目の試合を迎える。94年のデビューから数多くの選手を見てきた“人気鳥”。自身の足跡とともに、俯瞰(ふかん)ならぬ鳥瞰してきた、歴代ベストナインを選出した。

 2000試合目前でコロナ陽性による思わぬ離脱。つば九郎は「もうしわけございません。ゆだんたいてきとはこのこと」と謝罪した。「たくさんのかたにしんぱいしてもらって、あらためて2000しあいのおもみをしりました」と感謝。「ぱわーあっぷしてもどってきます」と早期復帰を約束した。記念日に合わせたベストナイン選出。本当は仕えた全7人の監督編を選んだが、優勝経験のある3監督時代に絞った。

 ≪野村克也監督編≫デビューは、野村克也監督の黄金期。古田、池山、広沢とスーパースターの名前が並ぶ。原宿でスカウトされて入団したつば九郎は「なにをやっていいか…」とまだ右往左往。プレーはもちろん、バラエティー番組でも目立つ選手ばかりで、飯田は「東京フレンドパーク」のアトラクション「ウォールクラッシュ」で「いちばんうえまでのぼっちゃう」ほど運動神経抜群。「どうしてもいれたかった」のは97年から3年間在籍した小早川。当時現役で「こわそう…」と思っていた広島・前田智徳との写真を撮らせてくれるなど「なかよくしてくれた」と感謝。抑えは高津を挙げた。

 ≪若松勉監督編≫つば九郎の認知度も徐々に上昇。「いじってもいいんだな」と選手との絡みも増えてきた時期だ。オーダーに名を挙げた選手との「ぱとろーる(会食)」もしばしば。お酒を飲まない宮本と稲葉と初めてぱとろーるした際には「ふたりとも、うーろんちゃのれんぱつ。びーるたのみづらかった」と回想。現楽天監督の石井一とは、メジャーから復帰した後に裏方に感謝も込めてバーベキュー大会を開催。手伝いにいったつば九郎の手際よく焼く姿に「“ありがとう”と。ばいとりょうをもらった」と秘話を披露。3番には「かたでかぜをきってあるいていた」岩村を指名した。

 ≪真中満監督編≫4番は「いちばんのぱとろーるなかま」の畠山。ある会食の席で当時失策の多かった畠山と「あしたえらーしたら、まるがりね」と約束。しかし、翌日にエラー…。約束を守り自らバリカンを購入して丸刈りにして現れ「ほんとうにするとは」と気合に驚いた。15年は神宮でリーグ優勝を達成。当時先発だった石山が翌日の広島戦に備えて先に広島入りしていた。つば九郎はナインとともに祝勝会をテレビ電話で実況中継。最初はもちろん喜んでいたが、時は既に深夜。長電話に「寝させてください」と石山。「あのときはごめんね」

 ≪番外・助っ人編≫つば九郎にとって印象深い、歴代助っ人オーダー。25歳上のオルガ夫人と結婚したペタジーニやヘルメットにプリクラを貼っていたホージー…。個性豊かな面々が並ぶ。「らみちゃんがいなかったら、つばくろうはゆうめいになっていない」と感謝するのがラミレスだ。本塁打後の「ゲッツ」「アイーン」などのパフォーマンスで、一緒に中継カメラに映り知名度が上昇。ポーズが徐々に増え、審判に「長いよ」と注意されたことも、今では笑い話だ。

 4番は13年に日本記録の60本塁打したバレンティン。「れきしてきしゅんかんにたちあえた」と回想。当時巨人に在籍したロペスと3人でぱとろーるした際には、ロペスとどちらが飲めるか対決し、なんと勝利。以降ロペスから「キング」と呼ばれるようになった。2番は阪神から移籍したオマリーだ。ペプシコーラを試合前に飲むのがルーティン。売り切れの日にスタッフがコカ・コーラをコップに入れて出すと飲んだ瞬間「ノーペプシ!」と絶叫。「すごいぺぷしあい」とそのシーンが忘れられない。

 監督は極端なオープンスタンスで有名な八重樫。「なにをいっているかわからないから!?」と指名。捕手は「げんえきじだいのとうろくめいがかたかなだから」と野村元監督の息子・カツノリを指名した。(取材・構成 青森 正宣)

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2022年8月2日のニュース