涙の復活星!阪神・才木 激痛、苦闘、円形脱毛症…「病んでいた」過去乗り越え、エース候補ついに

[ 2022年7月4日 06:00 ]

セ・リーグ   阪神3-0中日 ( 2022年7月3日    バンテリンD )

<中・神>1159日ぶりの白星を挙げ、ヒーローインタビューで感極まる才木(撮影・大森 寛明)
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 涙にぬれた復活星だ。阪神・才木浩人投手(23)が3日の中日戦で5回無失点の快投を見せ、19年5月1日の広島戦以来、1159日ぶりの白星を挙げた。19年5月から右肘痛に苦しみ、20年11月にはじん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)。投げられないストレスから円形脱毛症になるなど、苦闘を経て1148日ぶりに戻った1軍マウンドで最速153キロを計測した。4位浮上に貢献し、期待のエース候補が表舞台に帰ってきた。

 味わってきた苦しみを涙が洗い流した。頬を伝った復活の“証”。この瞬間を才木は信じてきた。まだ背番号121だった今春、鳴尾浜球場で少しだけ視線を上げた。「復活して投げることは、ずっと思い浮かべている。涙のヒーローインタビュー、そこまでイメージして…。あぁ…泣いちゃうな」。やってきた“本番”。やはり涙腺は決壊した。

 「こうやって痛みもなく、楽しんで野球ができるのがありがたい」

 初回に今季最速の153キロを計測するなど飛ばした。「2回からバテちゃったのは反省」。5回2死満塁では計76球目の直球で岡林を三邪飛に退けた。「真っすぐで打ち取れたのは自信になる」。3年ぶりの1軍マウンドには刺激が詰まっていた。

 「手術前の方がきつかった」。1軍から遠ざかった月日の陰陽は激しい。19年5月の2軍戦で打者1人に投げただけで降板。右肘痛との闘いの始まりだった。「朝、右手を使って体を起こすと、もう痛い。ドアを引いて“あっ、今日も痛いんだ”って」。毎日念じるようになった。「朝起きて治ってないかな」。小さな希望は翌朝の激痛で打ち消される。早くメスを入れたかったのが本音。周囲の「大丈夫」の声に保存療法で快方を願ったが、“魔法”など存在しないことを知った。

 頭に違和感を覚えたのは、そんな時だ。「頭洗ってる時に、ん?ん?はげてる?」。小学生の時からストレスを抱えると無数の10円ハゲができた。当時、理髪店の店員が母・久子さんに「いっぱいありますけど、髪を切って大丈夫?」と確認したほど。「手術前は結構できていた」。心身がむしばまれていた。

 ボールを投げられない時は一日中、トレーニング室にこもった。「体を動かさないと、頭がおかしくなりそうだった」。就寝前にはYouTubeで「アニメの名言集」を見て気持ちを高めることが日課。「病んでいた」。いまだから苦笑いで振り返ることができる。

 だから、手術が決まった時、心は晴れた。術後初めての帰省、母・久子さんの第一声は「はい、ポーズ」だった。決め顔をつくって写真に納まり、きれいになった右肘の手術痕も堂々と見せた。「ここからは良くなることしかない」。光差す方へ突き進んだ。

 「お世話になった人たちに“投げられるようになった”とマウンドで出せたのが一番価値のあるところ」。今後は登録を一度外れて次回登板に備える。高卒2年目の18年には6勝を挙げた逸材。才木浩人の“第2章”が始まった。 (遠藤 礼)

【阪神・才木浩人はこんな選手】
 ☆生まれ&サイズ 1998年(平成10)11月7日生まれ。兵庫県神戸市出身の23歳。1メートル89、88キロ。右投げ右打ち。
 ☆球歴 出合小1年時に「枝吉パワーズ」で野球を始める。王塚台中2年秋に投手転向。須磨翔風では2年春の兵庫大会で創部初4強。3年夏は2回戦で報徳学園に敗れ、甲子園出場なし。16年ドラフト3位で阪神入団。20年11月に右肘手術。同12月に育成契約を結び、今年5月に支配下復帰した。
 ☆球団最年少ホールド 新人だった17年10月5日の中日戦に救援でプロ初登板し、1回を無失点。当時18歳10カ月。
 ☆初勝利 プロ2度目の先発だった18年5月27日の巨人戦で6回無失点。プロ初勝利を「巨人戦」の「先発」で飾ったのは87年の猪俣隆以来で、10代では球団史上初めてだった。
 ☆両親 父・昭義さんはロボット製作に携わるエンジニア。母・久子さんは大体大のハンドボール部出身で、全日本大学選手権(インカレ)で準優勝。中学の体育教師の経歴もあり、文武両道の血を受け継いでいる。

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