佐渡島出身初のプロ、巨人・菊地が新潟凱旋 「日本を代表する選手になって」高校時代の相棒エール 

[ 2022年5月10日 05:30 ]

佐渡高時代の巨人・菊地(左)と若林さん(若林さん提供)
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 佐渡島初のプロ野球選手である巨人の菊地大稀投手(22)が、10日のDeNA戦(新潟)で地元に凱旋する。新潟出身投手が凱旋登板を果たせばチーム初で、馬場正平(後のジャイアント馬場)、関本四十四も達成できなかった快挙。「佐渡のドクターK」と佐渡高でバッテリーを組み、現在は東京でIT系の仕事に従事する若林玲伯(れお)さん(22)がスポニチ本紙を通じてエールを送った。

 6年前の春、新潟大会の2回戦で強豪・日本文理を相手に当時2年だった菊地は5失点完投で敗戦投手になった。その際に右腕が流した大粒の涙を若林さんは鮮明に覚えている。「それまでも泣くことはあったけど文理に負けたときは声も掛けられないぐらい泣いていました」と振り返る。

 甲子園に直結する大会ではなかったが、思いは変わらなかった。1メートル86、89キロの巨漢は気は優しくて力持ちだが、マウンドに上がるとスイッチが入る。高校入学後に内野手から捕手に転向した若林さんは「普段からは想像できないぐらい強い気持ちでやっていました。彼に認めてもらうことが捕手としての成功だと考えていた」と語る。「佐渡のドクターK」が投じる剛速球を捕る際はミットがぶれて際どいコースがことごとくボールになり曲がり幅の大きいスライダーは何度も後ろにこぼしたが「全然、嫌な顔をせず“大丈夫だよ”って」と感謝する。

 昨年末にともに佐渡島に帰省。船の中で菊地は「1軍で投げたい」と言った。育成ドラフト6位ながら数カ月後に有言実行した。「大稀は自分の頑張る理由、目標をつくってくれた。東京ドームで投げている姿を見たときは凄くうれしかった。日本を代表するような、長い間活躍する選手になってもらいたいです」とエールを送る。

 高校1年時にテレビ朝日系「熱闘甲子園」のテーマ曲だったSuperflyの「On Your Side」が2人の思い出の曲。歌詞には「涙も汗もすべてが 僕たちだけの story」とある。今はそれぞれの道を歩んでいるが、バッテリーの絆は不滅だ。(花里 雄太)

 ◇菊地 大稀(きくち・たいき)1999年(平11)6月2日生まれ、新潟県佐渡市出身の22歳。小3から野球を始め、真野中3年で佐渡市選抜のエースとして離島甲子園に出場。佐渡では甲子園出場なし。桐蔭横浜大を経て育成ドラフト6位で巨人入り。今年4月29日に支配下選手に昇格。1メートル86、89キロ。右投げ左打ち。

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