【侍JAPANの原点3】広島・森下 明大恩師と二人三脚で実現したドラ1&新人王

[ 2021年7月22日 05:30 ]

侍ジャパン強化合宿3日目

20年、広島の春季キャンプを訪問した善波氏(右)にあいさつする森下
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 森下にとって、大学4年間の「新人王計画」が大きな分岐点となった。森下が広島にドラフト1位で指名された19年まで、明大で指揮を執っていた前監督の善波達也氏(58)が振り返る。

 「“必ずドラフト1位でいくぞ”とよく話し合っていた。だけどプロ入りがゴールではなく、1年目から活躍することが大切。私も暢仁も新人王を獲ることにこだわっていた」

 高校3年時点でドラフト上位候補に挙がっていた。その中で大学進学を強く勧めたのが善波氏。「少し自信なさげに練習するところがあった。大学に進んだ方が彼のためになると、私が強く思った」。6度の面談で説得。明大進学が決まった。

 力強い体と自信を身に付けさせようと考えていた直後、1年春の新人戦で右肘を骨折した。同氏は「神様がもっと強い体をつくれと言っていると思って鍛えよう」と伝えた。リハビリ期間を無駄にせず、未完成だった体は強さを増した。

 2年からは同氏が監督を務める大学代表にも選出。「世代別の代表とはいえ、大学ジャパンも相当な重圧の中で戦う。そういう経験を経て失敗の少ない投手になっていった」。さらに4年で明大の主将を務めたことで「本当の責任感が芽生えたように映った」。入学時には見えなかったという自信も手にして、プロ入りを実現させた。

 2人の目標である新人王に向け、プロ入り後も連絡を取り合った。終盤は巨人・戸郷との一騎打ち。「誰が見ても暢仁という感じにしないといけない」と鼓舞した。大学で鍛えた精神的な強さもラストスパートに生かして、新人王を獲得した。

 常にトップレベルを意識する。それが2年目での侍入りにつながった。「野球界の皆さんの期待に応えてほしい」と善波氏。この重圧も、必ず乗り越える。そう信じている。(河合 洋介)

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2021年7月22日のニュース