オカンの命日に巨人・坂本250号、また阪神戦で節目弾 6月19日の通算は打率.357&2発

[ 2021年6月20日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人6―2阪神 ( 2021年6月19日    甲子園 )

<神・巨>6回2死、坂本は左越えにソロ本塁打を放ち、NPB通算250本塁打を達成し、記念ボードを掲げる(撮影・坂田 高浩)
Photo By スポニチ

 巨人・坂本勇人内野手(32)が19日、阪神戦でプロ野球史上65人目の通算250本塁打を達成した。この日はプロ1年目の07年に小腸がんで他界した母・輝美さん(享年47)の命日。20日の「父の日」を前に、両親に贈る8号ソロで連敗を2で止めた。チームは首位の阪神と7ゲーム差に縮め、敗れたヤクルトと並んで2位に浮上した。

 オカンと過ごした当時の実家は甲子園から車で30分ほどの距離にあった。兵庫県伊丹市出身の坂本は、プロ1号、50号、100号…と節目の本塁打がことごとく阪神から。250号は、最愛の人の命日に放った。

 「節目のホームランはタイガース戦が凄く多い。オカンも喜んでくれていると思う」

 やんちゃな少年が地元を離れ、光星学院(現八戸学院光星)に進学したのは母への気遣いからだった。「僕は3人兄弟。(母親に)迷惑をかけたくなかったので寮生活が良かった」と語っている。

 巨人の寮生活時代は自室に輝美さんの遺影があった。07年5月12日の2軍戦に招待して本塁打を届けた母は、その約1カ月後に天国へ旅立った。18歳は「泣いていても供養にならない。だから泣かない」と気丈に振る舞った。1軍でのプロ初安打は同年9月6日。「お母さん(の遺影)に報告したい」と記念球をバッグに忍ばせた。

 亡き母への思いを胸にプロ人生を歩んできた坂本。2―1の6回、伊藤将のスライダーを左手一本で拾った。5月9日のヤクルト戦で右手親指を骨折して以来初アーチとなる左越え8号ソロ。ベンチ前で通算250号の記念ボードを目にし、思い出したように笑った。遊撃での出場時では249本目。池山隆寛(現ヤクルト2軍監督)と並んで最多だ。

 今年の母の命日は、父の日の前日。父・喜代三さんがいつ来てもいいようにと、毎試合チケットを用意してきた。不調時に届いていたメールはめっきり減り、通算2000安打を達成した昨年11月8日には観戦した父に一発を見せた。「流れが変わったりチームの勢いが出てくる」と語る本塁打を重ね「250本も打てると思わなかった」と振り返った。

 守備でも1点リードの5回2死三塁で中野のボテボテのゴロを間一髪アウトにした。6月19日は通算打率.357、2本塁打。こんな孝行息子、そうはいない。(神田 佑)

 ≪ミスター&原に次ぐ巨人右打者3人目≫○…坂本(巨)が通算250本塁打を達成した。プロ野球65人目。初本塁打は08年4月6日阪神戦で阿部から。

 巨人では868本の王貞治を筆頭に7人目、右打者では長嶋茂雄444本、原辰徳382本に次ぎ3人目。また、通算1826試合目での達成は山崎裕之(西)の2041試合を筆頭に4番目のスロー到達。

 主に遊撃を守った選手では宇野勝(ロ=338本)、池山隆寛(ヤ=304本)、田中幸雄(日=287本)、豊田泰光(アトムズ=263本)に次ぎ5人目で球団初だ。

 ▼巨人・大城(4回に右中間へ勝ち越し6号ソロ)戸郷が頑張っていて、何とか打ちたかったので良かった。

続きを表示

この記事のフォト

2021年6月20日のニュース