阪神・佐藤輝に託すスラッガーの夢 指導者として新たな挑戦へ「まさか自分が監督をするとは」

[ 2021年5月4日 08:30 ]

猛虎の血―タテジマ戦士のその後―(9)桜井広大さん(関西独立L 06ブルズ監督)

現役時代と同じ「51」の背番号で、選手にノックをする06ブルズ・桜井広大監督(撮影・平嶋 理子)

 猛虎のスラッガーとして脚光を浴び、挫折も経験した男は、今年から独立リーグの監督として新たな挑戦を始めた。公式戦30本塁打を放った桜井広大(37)は、東大阪市を本拠とする06ブルズの指揮を執っている。自らの手で、NPBに選手を送り出す日に向けて指導を続けながら、新人の佐藤輝明内野手(22)に果たせなかった夢を託していた。

 選手に注ぐ視線には、愛情とともにプロで鍛えられた冷静な観察力が加わっていた。06ブルズは東大阪市に本拠を置き、4球団による「さわかみ関西独立リーグ」に加盟している創立10周年のチーム。桜井は今季から監督として、約30人の選手を引っ張っている。

 「指導に正解というものはない。根気よく、一緒の目線で、パフォーマンスが上がるように一緒に考えていく。一方通行では若い子には伝わりませんから」

 高校時代に甲子園を沸かせたような選手はいない。それでも野球に対する情熱は選手それぞれが持っている。長所を伸ばし、欠点を埋めていく毎日。PL学園時代からチャーハンが得意だったという桜井は「料理と同じで何とかその子に火を付けて、試合で自分の力が出せるように導きたい」と取り組んでいる。

 コーチとして一昨年からブルズに加入。オフに球団幹部から「監督をお願いしたい。広大しかいない」と要請を受けた。アマ、プロを通じて、多くの監督の指導を受けてきたが、「まさか自分が監督をするとは。驚きました」という人事。覚悟を決めて引き受けた。

 監督像として描くのはプロ入り時の2軍監督だった岡田彰布の指導方針だ。「遠くに飛ばせ。ゴロを打つな」とだけ言って、結果が出なくても4番で使い続けてくれた。「監督という仕事は我慢が必要。そして最終的な責任も負う」ということを学んだ。

 独立リーグの台所事情は厳しい。ブルズの選手は無給。練習、試合の合間にアルバイトをしながら、好きな野球に打ち込んでいる。監督としての待遇も阪神時代とは雲泥の差がある。「でも、それが当たり前となれば、当たり前になる。お金じゃない。やりがいを感じる毎日を送ることができているから」と不満は感じていない。

 覚悟を決めて取り組む野球の世界。阪神で初めて1軍昇格が決まった夜の記憶がある。映画「男たちの大和」のビデオを借りて、国のために死地に赴く乗組員の心情に自らを重ねた。

 「戦争と野球は全然違うのは分かっている。でも覚悟を決めて、戦いの場に臨む気持ちに僕は共感できた。どんなときでも一球一球に食らいついていこうと心に決めて、1軍に合流した」
 阪神のユニホームを着て、打席に立つということは、それだけ過酷な精神状態に身を置くことなのだ。

 だからこそ、期待のルーキー・佐藤輝明の気持ちも同じスラッガーとして桜井は理解ができる。「彼は別格。それだけの選手だと思う。内角への対応とか、いろいろ言われるだろうけど、阪神の選手に必要なのは、何よりも精神力。3三振とかしていたら、当てにいったり、ボールを振ったらあかんと思ってストライクにも手が出なくなる。そこの闘い。割り切る力が大切になる」。ケガにも見舞われ、果たせなかった夢を、桜井は自身の経験とともに、背番号8に託していた。=敬称略=(鈴木 光)

 ◇桜井 広大(さくらい・こうだい)1983年(昭58)7月1日生まれ、滋賀県出身の37歳。PL学園時代は2年夏に甲子園出場、高校通算26本塁打。01年ドラフト4巡目で阪神入団。07年7月の巨人戦でプロ初本塁打。09年に12本塁打を記録した一方、右肘の故障に苦しみ、オフに手術。11年に戦力外通告を受けた。独立リーグの四国・香川でプレー。13年に現役を引退し、香川、BC滋賀、06ブルズでコーチを務め、21年から06ブルズ監督。阪神では308試合出場、打率・273、30本塁打、116打点。阪神時代は背番号51。1メートル81、95キロ(現役時代)。右投げ右打ち。

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