広島・奨成のプロ初安打 栄光の面影ある打撃フォームで一撃 記念球は支えてくれた母へ

[ 2021年4月17日 05:30 ]

セ・リーグ   広島7-3中日 ( 2021年4月16日    バンテリンD )

<中・広>5回無死、中村奨はプロ初安打となる左越え二塁打を放ち、二塁上でガッツポーズ(撮影・椎名 航)
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 広島・中村奨成捕手(21)が16日の中日戦に「2番・左翼」でプロ初先発し通算7打席目でプロ初安打となる二塁打を放った。3試合連続零敗を喫していた打線の起爆剤となるべく今季初昇格即スタメンで1安打2得点と結果を残し、連敗ストップにも貢献した。

 二塁ベース上で中村奨は、プロ初安打までにかかった時間の長さを思った。「やっとプロとしての一歩を踏み出せた」。高卒4年目。ようやくたどり着いたプロ初先発の好機を逃さなかった。

 通算7打席目での初安打は、幸運がもたらしてくれた。4―3の5回先頭。鈴木の6球目を打ち損じた一塁側への飛球は、一塁手が目測を誤ってファウルとなった。「持っているな…」と打ちなおしの7球目。高め直球を引っ張ったライナー性の打球は左翼線に弾む二塁打となった。2死後、会沢の打球を二塁・三ツ俣がはじく間(記録は内野安打)に俊足を生かして生還。貴重な5点目を奪った。

 外野は3月から挑戦し、2軍戦6試合に出場したのみ。佐々岡監督も「思い切って使った」と振り返る起用だった。「捕手でも外野でも、与えられたところで結果を残すしかない年齢」。気付けば4年目を迎えていた。

 初安打には、高校時代の面影があった。昨年末、母校の広陵を訪れた際、中井哲之監督らとの談笑の中で伝えられた。「“びっくり打ち”みたい。来た球に反応しているだけみたいに見える」。最も輝いていた時代を知る恩師には、当時と比べて間(ま)が失われているように映った。

 高校時代は左足を大きく上げて、右足一本で立ちながら球を呼び込んでいた。理想的な形で球に力を伝えられていたからこそ、17年夏の甲子園で1大会最多となる6本塁打が生まれた。「やっぱり自分の中で一番合っているのは高校時代の打ち方なのかなと思えた」。プロの投手に対応しようと、ときに軽打を優先するも過去3年間は無安打。原点回帰の強振により、プロ初安打を二塁打に変えた。

 節目の記念球は、女手一つで育ててくれた母・啓子さんに贈る。「打てなかったときも“常に前を向いてやるしかないよ”と言ってもらった。それが支えになった」。スター候補として背負い続けてきた重圧が、ほんの少し報われた。(河合 洋介)

 【中村奨の入団からの歩み】
 ☆1年目(18年) 17年夏の甲子園大会で1大会最多の6本塁打を放ち、ドラフト1位で入団。2軍春季キャンプでは1軍の観客数を超える「奨成フィーバー」が起きた。ウエスタン・リーグでは打率・201、4本塁打。231打席に立ち、経験を積んだ。
 ☆2年目(19年) 2月に肋骨を疲労骨折し、実戦復帰した6月の2軍戦では頭部死球。相次ぐアクシデントに泣き、39試合の出場に終わった。打率・279、2本塁打。秋季キャンプは1軍組に初参加し「来年は絶対に1軍に上がる」と決意した。
 ☆3年目(20年) 春季キャンプで初の1軍スタートを勝ち取るも、アピールできずに2月中旬に2軍合流。7月下旬に初の1軍昇格を果たした。初出場した7月26日DeNA戦を含めて代打4打席で無安打。2軍では打率・244、1本塁打だった。

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