【21年版・球界“新”士録11】ヤクルト・ドラ4元山 父のスパルタ指導で鍛えられた精神力と守備力

[ 2021年1月26日 08:30 ]

ヤクルトのドラフト4位・元山
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 親の厳しさがあったから、今がある。ヤクルト・元山の父・誠司さん(51)は、息子に常に1番を求めた。「飛優」の名も「飛び抜けて優れている」という意味を込めて付けたほどだ。

 「父は負けず嫌い過ぎて、1番じゃないと気が済まないタイプ。僕が誰かより打っていなかったとか守れていなかったとか、そういうのが大嫌い」

 生駒ボーイズに所属した中学時代、父は一瞬の隙も見逃さなかった。「コーチが言っていたことを僕ができているか、できていないか。僕をずっと見ているので、いい時と悪い時を分かっている」。気の緩みからミスをすれば、チームメートが帰宅後も2人だけグラウンドに残り、誠司さんのノックを受けた。

 消極的なプレーでエラーをした時など、もってのほか。生駒ボーイズのグラウンドから家まで車で40分の距離を、3時間以上かけて走って帰らされた。そんなスパルタ指導にも、深く感謝しているという。「父の怖さに比べればなんでもへっちゃらでした。父が厳しすぎたおかげで、高校、大学で伸び伸びできた。それが一番です」。強靱(きょうじん)な精神力が身についた。

 小学6年時には、なくしてしまったキャッチャーミットを、父に言われて夜中まで探し回ったこともある。それも道具の大切さに気づいてほしかった誠司さんの思いゆえだ。

 愛情と裏返しの厳しさで、広い守備範囲を誇る大学球界屈指の大型遊撃手に成長した。球団の期待も大きく、背番号6をつける即戦力。1月の“初任給”では「何かプレゼントしようかなと」。開幕後には、神宮で躍動する姿が何よりの恩返しになる。(青森 正宣)

 ◆元山 飛優(もとやま・ひゆう)1998年(平10)12月4日生まれ、大阪府出身の22歳。上小阪中時代に生駒ボーイズに所属し遊撃手としてジャイアンツカップに出場。佐久長聖では1年春からレギュラーで、同夏に「1番・三塁」で甲子園出場。東北福祉大では2年春の仙台六大学リーグでMVP、ベストナイン、首位打者、打点王に輝いた。1メートル80、79キロ。右投げ左打ち。

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