ド軍名物監督だったラソーダ氏、天国へ…野茂を「我が息子」と呼んだ親日家、日米球界の橋渡し役も

[ 2021年1月9日 05:31 ]

95年、笑顔の野茂(右)とラソーダ監督 
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 日本球界とも縁の深い名将が天国に旅立った。ラソーダ氏はメジャーの世界で確固たる地位を築いた名物監督。76年途中から96年途中まで長きにわたってドジャースを率い、チームを2度の世界一に導いた。その名前が日本のファンにも知られるようになったのは、95年に野茂英雄投手がド軍に入団してからだ。

 当時チームを指揮していたラソーダ氏は野茂を「我が息子」と呼び、1年目から開幕ローテーションで起用。でっぷりとした愛嬌のある体型やオーバーアクションなどで日本のお茶の間にもおなじみとなり、医薬品メーカーのCMにも出演した。缶コーヒーのCMでは野茂とも共演した。

 監督退任後には何度も来日した親日家。ド軍の球団副社長時代の01年には野茂の古巣・近鉄の球団アドバイザーに就任した。外国人獲得など手腕を発揮し、同年のリーグ優勝に貢献。「今回の優勝は格別だ」などと喜びのコメントを残した。08年には日本球界の発展に寄与したとして「旭日小綬章」を授与されるなど、日米球界の橋渡し役として歴史に名を刻んだ。

 米国ではド軍に捧げた野球人生。監督時代の「私の体には(チームカラーである)ドジャーブルーの血が流れているんだ」との名言は有名だ。亡くなる直前の10月27日には、レイズとのワールドシリーズ第6戦をアーリントンの球場で観戦。ド軍の世界一の瞬間を見守っていたという。自身がチームを率いていた88年以来の王座奪還を見届け、ラソーダ氏は静かに旅立った。

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