さらば「10・19」の近鉄戦士 佐藤純一審判員がラストゲーム

[ 2020年11月6日 21:36 ]

<オ・日>引退試合を淡々とジャッジする佐藤審判(撮影・井垣 忠夫)
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 近鉄戦士がまた1人グラウンドを去った。今年で引退するNPBの佐藤純一審判員(60)は6日、京セラドームで行われたオリックス対日本ハム戦の一塁塁審を務め、31年の審判生活に別れを告げた。通算2148試合目をトラブルなく終え「いつもと変わらぬジャッジができた。肩の荷が下りました」と晴れやかな表情で話した。 

 審判員は大観衆の前でミスジャッジをする可能性があるため家族を試合に招待することは少ない。しかし、きょうは特別だ。妻・奈穂子さん(63)、長女祐加さん(32)、長男・裕紀さん(31)がスタンドで父の仕事姿を見守った。

 社会人野球の秋田相互銀行時代は3拍子揃った外野手として都市対抗野球に2度出場。82年ドラフトで近鉄から3位指名を受けた。88年には「10・19」として語り継がれるロッテとのダブルヘッダーにも出場した。

 90年限りで選手を引退。当時の仰木彬監督から「審判やらんか?」と言われたことがきっかけでパ・リーグ審判に転身した。他の道もあったが、妻・奈穂子さんに「今まで野球をやってきたから良い道だよ」と背中を押され決心した。

 故・仰木氏の人を見る目は確かだった。日本シリーズに6度、オールスターに4度選出される名審判となり球界を支えた。01年は近鉄・北川が代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打を放った試合の球審を務め「北川が本塁を踏むときにもみくちゃになり、触塁の確認が大変だった」と懐かしむ。

 試合はオリックスが4―3でリードし、9回2死二塁を迎えた。4番・中田が中飛を放ち試合終了。ボールが宙に浮く間に走馬灯のように浮かぶのは苦い思い出ばかりだ。ミスジャッジ、退場など審判員の辛さを乗り越えてきた。仕事ぶりを評価され定年の58歳を越えても異例の契約オファーがあった。「この年までできたのは仲間や家族の支えがあったから」。感謝の気持ちで最後の時を迎えた。試合後にオリックス・中嶋監督代行から花束を受け取り、球場中から拍手を受けた。「あれだけ盛大にやってもらったのは選手時代も含めて初めて。うれしかった」グラウンドで決して笑顔を見せない審判員が最高の笑顔でグラウンドを去った。

 ◆佐藤 純一(さとう・じゅんいち)1960年7月18日生まれの60歳。小4から野球を始める。大曲南中を経て、大曲高を卒業後、社会人野球の秋田相互銀行でプレー。82年に近鉄から3位指名を受け入団。選手としては通算290試合出場で35安打、4本塁打、11打点、20盗塁。審判としては通算2148試合出場。袖番号は21。

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2020年11月6日のニュース