吉田義男氏も「あこがれの存在」 「戦後初の1番バッター」との別れを惜しむ 黒田脩さんお別れの会

[ 2020年9月29日 18:01 ]

黒田脩さんお別れの会の祭壇
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 戦後の京都二中で活躍し、8月31日、91歳で他界した黒田脩さんのお別れの会が29日、大阪・中之島のリーガロイヤルホテル大阪で開かれ、球界関係者らが別れを惜しんだ。

 黒田さんは1946(昭和21)年8月15日、西宮球場で戦後再開となった夏の高校野球(当時中等野球)全国大会の開幕試合で京都二中(現鳥羽高)1番打者として成田中戦で最初の打席に立った。47年には戦後初めて甲子園球場で開催された春の選抜大会にも出場した。

 京都出身の元阪神監督・吉田義男氏(87)は疎開先の京都・本梅村(今の亀岡市本梅町)から京都市の帰り、再開された全国大会で準優勝した京都二中の快進撃をラジオ中継を聞き、新聞を読んで応援していた。弔辞では「黒田さん……いや黒田先輩は、私にとってはあこがれの存在でした」と語りかけた。

 元読売新聞大阪本社社会部長の黒田清氏(2000年、69歳で他界)は黒田さんの弟。黒田氏の部下でジャーナリストの大谷昭宏氏(75)はビデオレターで訃報に際して送ったという弔電の一部を披露した。「球児の夏、戦後初の1番バッターは、平和を尊び、野球を愛し、いまここに静かにバットを置く」

 黒田さんは旧関西六大学野球連盟(現関西学生野球連盟)理事長を務めるなど、アマチュア野球の発展に尽くした。

 また、家業の大阪食糧卸株式会社社長として、小麦粉の円滑な流通を促進した功績により、藍綬褒章、勲五等双光旭日章を受けた。

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