【内田雅也の追球】投球と連携した「予測」 阪神・西の好投が好守を呼び、好守が好投を支えた

[ 2020年9月12日 07:30 ]

セ・リーグ   阪神4-0広島 ( 2020年9月11日    甲子園 )

<神・広(15)>6回無死、上本の打球を好捕する大山(撮影・北條 貴史)
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 あれからもう28年か。1992年のこの日、9月11日の甲子園。阪神はヤクルトとの首位攻防戦で延長15回引き分け、史上最長6時間26分の激闘を演じた。

 試合終了は日付の変わった12日午前0時26分だった。談話を拾い、記者席に駆け上がって、15字×100行を原稿用紙にたたきつけるように書いた。空には美しい中秋の名月が浮かんでいた。

 事件は9回裏に起きていた。2死一塁、八木裕が放った左翼大飛球が本塁打から二塁打に訂正されたのだ。打球はフェンス中段で跳ね、外野席に落ちたのだった。

 サヨナラ弾は幻となり試合は37分間も中断、紛糾した。判定した二塁塁審・平光清は「私の誤審です。今年で審判を辞しますから」と阪神側に試合再開を求めていた。実際、同年限りで引責辞職した。

 後年、今はなき平光に誘われ、銀座の行きつけの店で話したのを思い出す。ただ、ここでは事件の話はさておく。

 平光は「アメリカのプロスポーツが好きでね」と言い、MLBだけでなくNBA、NFLも相当な通だった。「アメリカで育ったスポーツは守りからリズムを作るんですよ」。たとえば、NBAで相手ボールの際、地元ファンが「ディフェンス!」と声をあげる。「よく守れば流れを引き寄せられるとファンも知っているんです。アメリカンフットボールも、野球も同じです」

 同じ原理をこの夜、完封勝利を飾った阪神・西勇輝がお立ち台で話した。

 「みんながよく守ってくれました。守備のリズムから攻撃に移るというのが基本ですから」

 だから打線は先制し、着々と加点できたのだ。

 そして好投を支えた好守があった。要所で3併殺を奪った。糸原健斗・木浪聖也の二遊間が躍動した。6回表先頭で大山悠輔が三遊間寄りゴロを、9回表先頭で近本光司がフェンス前大飛球を、ともに飛びついて好捕、ピンチの芽をつみ取っていた。

 制球が良くテンポもいい西の投球は野手も守りやすい。

 「牛若丸」と呼ばれた名手、吉田義男は著書『阪神タイガース』(新潮新書)で野球を<連携のスポーツ>と記した。小山正明や渡辺省三ら制球のいい投手の時は<打球のコースを予測し、守備陣形をシフトしていた>。

 この夜の野手陣も打球方向を予測、あるいは予感できたはずだ。

 ただ、8回表の4―6―3併殺は内角シュートに堂林翔太が押っつけて一、二塁間に打ったため糸原は逆を突かれた。それでも併殺を完成させたのは見事である。

 西は事前に“そちらに(打球が)いく”と野手に予告していたようにも見える。たとえば、2回表1死、打席に松山竜平を迎えた際、一塁手のジャスティン・ボーアをグラブで指し“そこに行くよ”と声をかけている。実際、松山を外角チェンジアップで泳がせて引っかけさせ、一塁ゴロに打ちとっていた。

 28年前の激闘を知る関係者も今では当時阪神新人、現内野守備走塁コーチの久慈照嘉ぐらいになった。リーグ最多の失策数で頭が痛い久慈も気が晴れた夜だったことだろう。=敬称略=(編集委員)

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