狭山ケ丘、帝京魂で初V 平沢監督の“前田イズム”結実

[ 2020年8月24日 05:30 ]

埼玉大会決勝   狭山ケ丘5ー2昌平 ( 2020年8月23日    メットライフD )

<埼玉大会決勝 狭山ケ丘・昌平>優勝を決め喜びを爆発させる狭山ケ丘・清水(中央)(撮影・河野 光希)
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 都道府県高野連が独自に開催する代替大会は23日、埼玉、神奈川で決勝2試合が行われた。埼玉は狭山ケ丘が昌平に競り勝って初優勝。神奈川は東海大相模が相洋を終盤に突き放して2連覇を達成した。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で甲子園という目標は失われたが、関係各所の尽力で開催された特別な大会が全日程を終了。全国の約13万8000人の球児は、それぞれの未来に向けて歩きだす。

 マウンド付近で無邪気に喜ぶナインを頼もしげに見つめた。苦悩の日々が報われ、目頭が熱くなる。代替大会とはいえ、初めて狭山ケ丘が埼玉の頂点に立った。平沢智太郎監督の頬を涙が伝った。

 「選手がよくやってくれた。大会前はあまりいい状態ではなかった。試合とともに選手が成長してくれた」

 狭山ケ丘は今春も東大合格者を輩出する進学校ながら11年以降、ベスト8に3度進出。そして花咲徳栄や浦和学院の牙城を崩し初優勝した。急成長の理由は18年冬に就任した29歳の青年監督が選手に勝者のメンタリティーを植え付けたからだ。平沢監督は東東京の名門・帝京出身。甲子園3度の優勝を誇る前田三夫監督から薫陶を受けた。まずは「1球の大切さ」。埼玉大会は7回制。序盤のビハインドは重い。「あれよあれよの状態にはしたくない。全てのボール、1球目だぞ」と指示。この日も初回の正高奏太(3年)の先制適時打、2回の金子侑渡(3年)の2点三塁打はいずれも最初のストライクを捉えた。

 そして「信念を貫く」こと。10歳ほどしか変わらない選手に対して心を鬼とし、冬から春にかけて徹底的に走らせた。練習でも緊張感が生まれ、ミスに対し周囲から容赦ない声が飛ぶようになった。ナインが「厳しい」と口をそろえる練習には賛否両論もあったが「No・1になるための練習。何を言われても自分を信じた」と結果で証明した。

 大会前には母校が9年ぶりに優勝。テレビで躍動する伝統の縦じまユニホームを見て「監督である以上は、そこに選手を導かなければいけない。次に続くのは俺だ」とひそかに闘志を燃やしていた。

 「前田監督には報告するか迷ってます。ここで満足して電話をかけてくるなと言われそうで…」と平沢監督。アベックVの喜びに浸るつもりはない。特別な夏は終わった。まだ29歳。球児たちとともに、無限の可能性が広がる未来へと向かう。(花里 雄太)


 ▽狭山ケ丘 1960年に開校。野球部は64年から夏の選手権に参加した。主なOBは黄川田賢司(元Jリーガー)、浜谷健司(お笑いコンビ・ハマカーン)、天宮菜生(元宝塚歌劇団)。小川義男校長。

 ◆平沢 智太郎(ひらさわ・ともたろう)1990年(平2)10月25日生まれ、東京都足立区出身の29歳。帝京では日本ハムの杉谷らと同期で3年夏は東東京4回戦で関東第一に敗れる。仙台大を経て一般採用試験を受け、18年冬から狭山ケ丘で監督。

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