法大・山中正竹の48勝 怪物・江川も1勝届かなかった…東京六大学で半世紀破られない大記録

[ 2020年5月18日 05:30 ]

東京六大学歴代最多の48勝を挙げた法大・山中
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 創設95年目を迎えた東京六大学野球は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で春季リーグ戦が8月に延期となった。その大学球界最古の歴史を誇る連盟で半世紀破られていない大記録がある。法大のエースとして66~69年に積み重ねた山中正竹(73=全日本野球協会会長)の通算48勝だ。あの怪物・江川卓もあと1勝届かなかった偉業を、山中氏や関係者の証言から改めて検証する。(伊藤 幸男)

 (1)黄金時代…4年79戦登板、1季平均6勝

 東京六大学は2戦先勝の勝ち点制。通算48勝は単純計算で、1年春から平均6勝しないと到達しない。平成以降で最多は早大・織田淳哉(元巨人)の33勝。1年春に2勝、秋には7勝を挙げた山中氏は「1番に富田さん、4番は田淵さん、6番に(山本)浩二さん。本当に凄い打線だったよね」と当時の法大のメンバーを振り返る。

 1学年上に田淵幸一(元西武、スポニチ本紙評論家)、山本浩二(元広島)、富田勝(元中日)の「法大3羽ガラス」、同期には西鉄のドラフト4位指名を蹴った江本孟紀(元阪神)がいた。法大黄金時代ではあったが、他大学もそうそうたる顔触れだった。投手では明大の星野仙一(元中日)、早大の八木沢荘六(元ロッテ)、高橋直樹(元巨人)、小川邦和(元広島)、安田猛(元ヤクルト)。打者では、明大の高田繁(元巨人)、早大の谷沢健一(元中日)、荒川堯(元ヤクルト)、中村勝広(元阪神)、立大の槌田誠(元ヤクルト)、小川亨(元近鉄)。多くがプロに進んだ。

 そんな中、甲子園出場すらなかった1メートル69の左腕がつわものたちを抑え込んだ。1年秋の明大戦では、星野相手に1―0の完封。2年秋には自己最多の9勝を挙げ、肩を痛めた3年以降も勝利を重ねた。1年秋から常に初戦先発を任され、4年間で計79試合に登板。「私は球が速いとか特別凄い投手ではなかったけど、最終的に誇れることは4年間投げ抜いたこと」と胸を張る。 

 (2)研究と継続…「成長できた」明大高田対策

 江川卓のような剛速球があったわけではない。山中氏は「工夫したり、投手として求められたものを継続していく素質はあったのかな」と自己分析する。それを証明するのが、当時リーグ記録となる通算127安打をマークした明大・高田対策だ。「生まれて初めて本塁打を打たれた打者。高田さんとの対戦で成長させてもらった」と話す。

 基本は内角攻め。直球にカーブ、フォークと緩急を駆使し懐を攻めると、最後は外角のシュートかスクリューボールで凡打に足も封じた。

 田淵氏 こんな細くて小さいヤツが抑えられるかと思ったけど、コントロールもいいし何よりクレバー。高田さんの盗塁を阻止するために、カーブのサインでも俺が立ち上がったら外角高めに真っすぐで外せと。それができる投手だった。

 高田氏 御大(島岡吉郎監督)から“自由に走っていい”と言われていたけど、山中―田淵の時だけはサインで走った。両サイドを突いて真っすぐを見せ、変化球もうまく使う投手。

 山中氏は入学時から3年間、田淵氏と同部屋で過ごした。田淵氏は「(当時監督の)松永(怜一)さんが“こいつをエースに育てよう”と俺と組ませたんだと思う。大学卒業する時は“プロに行くな。大学で監督をやって法政のために頑張ってくれ”とアドバイスした。肩も酷使していたしね」と懐かしむ。

 (3)不滅の記録…エリート組に負けたくない

 山中氏の48勝に最も近づいたのは、江川だ。77年秋、8学年後輩の記録更新が現実味を帯びてくると「凄い投手が記録を抜くのは当然。頑張ってもらいたい」と周囲に漏らしたが、本音は違ったという。「腹の中では“プロ野球でも記録を作れるだろ”。学生野球の記録は山中のような選手が持っていた方が意味あるんじゃないかと勝手に思っていた」。結局、王手をかけた江川は大学最終戦には登板しなかった。

 山中氏の記録は今後、破られる可能性はあるのか。15年に明大・高山俊(現阪神)に通算安打記録を塗り替えられた高田氏が解説する。「単純計算で1年春から投げても1シーズンに6勝。全勝しても10勝。記録は破られるものだし、俺も高山に破られた。絶対無理とは言えないけど、大変。だから何十年も破られていない記録」。

 田淵の通算最多本塁打は高橋由伸(元巨人)に、江川の通算最多奪三振は和田毅(現ソフトバンク)に更新された。だが48勝に近づく投手は江川以降現れていない。山中氏は「第2戦に江本が負けてくれたおかげ」と冗談交じりに話すが、決してそうではない。プロ入りした同世代の選手の潜在能力を見極めつつ「甲子園組やドラフト候補組にいつか追いついてやる」という対抗心が大記録の源になったのではないか。

 ◆山中 正竹(やまなか・まさたけ)1947年(昭22)4月24日生まれ、大分県出身の73歳。佐伯鶴城から法大を経て住友金属。監督として82年都市対抗優勝。92年バルセロナ五輪では監督として銅メダルを獲得。94年から法大監督として東京六大学リーグを7度優勝。03年には横浜(現DeNA)の専務取締役に就任。16年野球殿堂入り。全日本野球協会(BFJ)会長、侍ジャパン強化本部本部長。

 ≪江川氏 勝利数関心なし「3年まで知らなかった」≫江川氏は、なぜ大学最終戦に登板しなかったのか。77年秋の明大1回戦で通算47勝目。大記録に王手をかけたが、2回戦は鎗田英男が先発し2連勝で勝ち点を挙げた。当時について「順番が決まってたからね。1回戦は俺、2回戦は鎗田って。五明(公男)監督から“あと1個で追いつくけど投げるか?”と聞かれたんだけど“もし3回戦があれば、ぜひ投げさせてもらいます”と答えた。鎗田とは仲が良かったし、同級生の先発を奪ってまで並びたいとは思わなかった」と明かした。

 実は通算勝利数への関心はなかった。「3年まで知らなかった。4年になって奪三振、完封数の記録を新聞に載せてもらうようになってね」。江川氏は通算奪三振記録(443)こそ和田に抜かれたが、今なお、さんぜんと輝く記録がある。通算17完封。白星の4割近くを完封で飾っている。

 ≪今春リーグ戦8月再延期≫東京六大学野球連盟は当初、5月末開幕で1試合総当たり勝率制での開催を模索していたが、断念。13日の臨時理事会で8月12日から20日の「春季リーグ」開催を目指すことを決めた。1試合総当たり制は74年ぶり。秋季リーグは従来通りの勝ち点制で、9月19日開幕を予定している。

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