【タテジマへの道】才木浩人編〈上〉野球教室で能見に励まされプロ目指す

[ 2020年5月13日 15:00 ]

小学6年時には1メートル64とひときわ大きかった才木(当時は捕手)

 スポニチ阪神担当は長年、その秋にドラフト指名されたルーキーたちの生い立ちを振り返る新人連載を執筆してきた。現在甲子園で躍動する選手たちは、どのような道を歩んでタテジマに袖を通したのか。新型コロナウイルス感染拡大の影響で自宅で過ごす時間が増えたファンへ向けて、過去に掲載した数々の連載を「タテジマへの道」と題して復刻配信。第16回は16年ドラフトで3位指名された才木浩人編を2日連続で配信する。

 “事件”が起きたのは浩人が小学4年の時だった。

 神戸市の「枝吉パワーズ」で捕手として出場した4年生以下の大会。当時すでに身長が1メートル50を超えていて、打っては鋭い打球を飛ばし、守っても強肩を披露する姿を目の当たりにした大会役員から疑惑を向けられた。「あの子は本当に4年生か?」。役員席からの声は、ちょうど近くで試合の場内放送を担当していた母・久子にも聞こえた。

 母は慌てて持参していた保険証を見せることで疑念を晴らした。「すごく疑っていたんです。他にも『年齢詐称じゃないか?』て言われたこともありました」。小学校時代は身長順で並ぶと決まって一番後方。いまでは笑い話になった逸話だ。

 1998年11月7日に才木家の次男として生を受けた。父・昭義はロボット製作に携わるエンジニア、母・久子には大体大時代にハンドボールの全日本大学選手権(インカレ)で準優勝した経験があった。3180グラムで誕生。ハイハイの時期はほとんどなく、1歳を迎える前には自宅の中を走り回るようになり、部屋にあった観葉植物の鉢にぶつかって左目の下を4針縫う怪我を負ったこともあった。

 幼稚園の頃はサッカー好きだった。一方、3歳上の兄・智史は先に少年野球を始めていた。2人兄弟で競技が別になっては練習や試合への送迎などで負担が増す両親から「お兄ちゃんが小学校を卒業するまでは野球を」と半ば強引に説き伏せられ、小学1年から兄と一緒のチームに入った。打ち込み始めた野球からは兄が卒業した後も離れることはなかった。

 神戸市立王塚台中学校でも軟式野球部に所属。進学を控えていた3年の冬に運命的な出会いがあった。藤井彰人、能見篤史ら阪神タイガースの選手が駆けつけた野球教室に参加。「プロ野球選手チーム対少年野球チーム」の紅白戦が開催され、なんと能見から先発投手に指名された。“対決”した能見から見事に空振り三振を奪い、「フォームがきれいだね」と褒められた。

 自然と進学先の話題になった際に強豪私立から誘いがなかった経緯も明かすと、「この先、見返してやれ」と励まされた。これ以上ない激励だった。そんな“恩人”と同じユニホームを着ることを当時は想像できなくても、「夢」でしかなかったプロ野球選手が「目標」に変わった瞬間だった。兄もいた須磨翔風への進学。“見返す”ための道のりは決して順風ではなかった。
(2016年11月6日掲載、一部編集、明日に続く)


 ◆才木 浩人(さいき・ひろと)
 1998年(平10)11月7日生まれ、兵庫県出身の17歳。王塚台中2年時に捕手から投手に転向。須磨翔風では2年春の県大会で先発を務め、創部初の4強入り。甲子園経験はなし。長身から投げ下ろすスピンの利いた直球は最速148キロ。キレのある変化球も持ち味。1メートル88、79キロ。右投げ右打ち。

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