昨季引退の元虎戦士・横田慎太郎氏 鹿児島からエール 藤浪へ「甲子園で投げる姿をまた楽しみに」

[ 2020年4月29日 05:30 ]

電話取材で近況を語った横田慎太郎さん
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 17年に患った脳腫瘍の影響で昨年限りで現役引退した元阪神の横田慎太郎氏(24)が28日、スポニチの電話取材に応え、近況を語るとともに、コロナ禍で活動休止も経験したかつてのチームメートたちに熱いエールを送った。中でも、闘病による離脱の直前に紅白戦で対戦した先輩の藤浪晋太郎投手(26)には甲子園での“復活快投”を望んだ。(取材・構成=遠藤 礼)

 電話越しの声からは、仲間を案じる思いが溢れた。横田氏は、チームから3人が新型コロナウイルスに感染した事実を知った時の心境から口にした。

 「一緒にプレーした先輩方が病気になられたのはすごくショックで驚きが大きかった」

 チームは3月下旬から約3週間の活動休止を余儀なくされた。自宅待機で限られた環境での運動しかできない時間を経て、今は甲子園、鳴尾浜での自主練習。状況は違えど自身は脳腫瘍の闘病で半年の入院を経験したからこそ、野球ができない日々を重ね合わせた。

 「僕も病気で野球をできない状況を経験した。その時はできること、甲子園でヒットやホームランを打つことをイメージしていた。選手の方々も今は本当に難しい期間だと思いますが、良いことだけ考えて、気持ちを前に向けてやってほしい」

 そんな中、個人名を口にした。「藤浪さんは、僕が離脱直前に対戦した投手なんで…」。春季キャンプ中の17年2月8日の紅白戦で対戦し空振り三振。直後にチームを離脱した。「僕が言うのはおこがましいですが、本当にすごいボールを投げますし、素晴らしい投手。甲子園で投げる姿をまた楽しみにしてます」と同じ“シンタロウ”の聖地での躍動を願った。

 引退後は故郷・鹿児島で1人暮らしをスタートさせ、経験を伝えるべく地元での講演などを中心に活動。自身も、感染拡大の影響で登壇予定のイベントが10件もキャンセルや中止に追い込まれた。「世の中が大変な状況なので」。予防を第一に人のいない早朝にランニングをするなど、今はほとんど部屋を出ていない生活を送る。

 それでも、模索する第二の人生へ向けて思い返したのは、先輩の言葉だ。「1軍にいた時、福留さんに“お前はもっと本を読め”と言われたのを思い出して人生初めての読書を始めました」。すでに京セラの創業者・稲盛和夫氏の著書など3冊を読破し「野球以外の世界を知れてすごく刺激がある」と笑った。

 「自分が(選手で)この状況なら“踏ん張る時”だと思って毎日過ごしていく。ファンの方も野球を観られない日が続いて苦しいと思いますが、僕の最後の試合でも声援に大きな力をいただいた。応援は絶対に選手の力になると思うので、開幕する日を待っていてほしいと思います」

 仲間に、そして虎党に力をもらった“背番号24”は、鹿児島から甲子園へありたっけの思いを投げかけた。

 ○…17年2月8日の紅白戦に白組の「7番右翼」で先発。3回の第1打席は2番手・藤浪に三振。5回先頭の第2打席も岩崎の前に三振に倒れた。6回には守備妨害で出塁したが(記録は内野安打)、3打席で会心の当たりは放てず。宜野座ドームで居残り練習を行い、他の選手が帰った後も平野打撃コーチが付き添い、約1時間以上も確認作業を続けた。

 ○…横田氏は17年の春季キャンプ中に頭痛の症状が治まらず、2月11日に緊急帰阪。検査で「脳腫瘍」と診断されたが、公表は控えられていた。入院と治療を経て、8月下旬には症状が消えて安定した状態となる「寛解」と診断され、9月3日に報道陣へ公表。虎風荘へ帰寮しリハビリを進め、11月に育成選手として契約を結んだ。しかし、実戦復帰を果たせぬまま、19年9月22日に引退表明。2度の大手術を経た後遺症による視力低下を決断の理由に挙げた。

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2020年4月29日のニュース