阪神 延長10回 脇の下に隠された“トリック” 屈辱から始まった日本一への道

[ 2020年4月6日 07:30 ]

開幕よ、来い――猛虎のシーズン初戦を振り返る

【1985年4月13日 広島市民球場 阪神3-4広島】延長10回、二塁走者・北村(左から2人目)は木下(右)の隠し球でタッチアウトに
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 【1985年4月13日 広島市民球場 阪神3-4広島】日本一への道は屈辱的な事件から始まった。

 延長戦へ突入した10回。北村照文は代打で左前打を放ち、真弓明信の投前犠打で二塁へ進んだ。1死二塁の好機。何げなく離塁した瞬間、二塁手の木下富雄が駆け寄ってきた。グラブを顔面に押しつけられてタッチアウト。球史に残る「隠し球」に引っかかった。

 真弓の犠打で一塁ベースカバーとして送球を受けていた木下は投手の大野豊に歩み寄り、ボールをグラブの中に上から押しつけるようにして手渡した。ここまでは北村も、三塁ベースコーチの一枝修平も、一塁ベースコーチの並木輝男も確認していた。「走らせようか…という考えで、ベンチの監督と打ち合わせをするためにボールから目を離してしまった」。翌14日の本紙に残る一枝の説明だ。

 この時、木下は並木の視線を背中でさえぎるように大野のグラブからボールを素早く抜き取った。隠した場所はグラブの中ではなく左の脇の下だったという。大野は「木下さんと目が合った。隠し球をしていたのは知っていたので、マウンドの離れ方が難しかった。必死に俺は知らないよ…というふりをした」と振り返る。

 監督の吉田義男が抗議に走っても、判定は覆らない。逸機で流れは変わり、直後に山本和行が打たれてサヨナラで敗れた。球場からの帰途で「隠し球も見えんかったのか」のヤジを浴びた吉田は「まあ、いろいろありますな。この悔しさを選手が忘れないように戦ってくれれば、この1敗も大きな収穫になりますよ」と受け止めた。

 敗因は初の開幕投手だった大野に136球の10回完投を許した打線も大きかった。バースは3三振と1併殺の無安打、掛布雅之は1安打で2三振、岡田彰布も無安打の1三振。3~5番の3人で10打数1安打、5三振に終わった。岡田は4回の適時失策も痛恨だった。勝った大野は「初めての開幕投手で必死だった。そんなに抑えていたとは…」と思い返した。

 吉田が言い残した「悔しさ」は、確かに猛虎を目覚めさせた。翌日は8―7で打ち合いを制し、バースには2日間にまたいだ5打席連続三振の後に初安打が出た。開幕2カード目は本拠地・甲子園での巨人3連戦。バックスクリーン3連発の伝説が生まれるのは、隠し球開幕から4日後の4・17だった。=敬称略=

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