【73年センバツ第45回大会】名将・渡辺元智氏 伝説の始まりはサヨナラ満弾

[ 2020年3月31日 08:30 ]

センバツあの日の記憶~高校野球ファンに贈る~

小倉商戦の延長13回、大会史上初となるサヨナラ満塁本塁打を放つ横浜・長崎
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 名門・横浜の、そして名将・渡辺元智氏(元横浜監督)の伝説の始まりだった。1973年3月31日。出場30校最後の登場となった初出場・横浜(神奈川)は、初戦となった2回戦で小倉商(福岡)と激闘を演じた。2―2のまま延長に突入。迎えた13回、終止符を打ったのは4番・長崎の大会史上初のサヨナラ満塁弾だった。

 横浜・永川(元ヤクルト)、小倉商・門田(元大洋)の両エースの投げ合いとなった試合。全国クラスと言われた強打を、最後の最後に見せつけた一打だった。過去にセンバツで記録されている20本のサヨナラ本塁打の中で、サヨナラ満塁アーチはこの1本だけだ。甲子園通算51勝の名将にとっての初勝利でもあった。

 作新学院(栃木)の怪物・江川(元巨人)の甲子園初登場で沸いたこの年の春。横浜はこの長崎の劇的アーチで勢いに乗った。決勝では佃―達川(元広島監督)のバッテリーの広島商に勝って初優勝。当時28歳の青年監督だった渡辺氏は、17年2月に本紙掲載の「我が道」の中で「長崎をはじめ世話の焼ける“悪ガキ軍団”をまとめ、頂点に駆け上がった感激は言葉にならないものだった」と振り返っている。

 ☆第45回大会(73年) 怪物と呼ばれた江川卓(作新学院)が甲子園に初登場。当時のはやり言葉に「輪島か、江川か、ハイセイコーか」というのがあった。開幕戦で北陽相手に19奪三振、衝撃の4安打完封だった。準々決勝の今治西戦でも毎回の20奪三振。準決勝で広島商に敗れたが4試合で奪った60三振は今も大会記録として残っている。また、47都道府県のうち唯一センバツの出場がなかった山形県から日大山形が初出場。1回戦で境を下し初勝利をマークした。

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