【91年センバツ第63回大会】鈴木一朗の悔しさが世界のイチローの原点

[ 2020年3月29日 09:00 ]

センバツあの日の記憶~高校野球ファンに贈る~

松商学園戦で最後の打者となり天を仰ぐ鈴木一朗
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 1点を追う9回2死一、二塁。愛工大名電の背番号1、鈴木一朗が打席に入った。松商学園のエース・上田佳範(現DeNA外野守備走塁コーチ)が投じた初球カーブを強振したが、力ない一ゴロでゲームセット。この大会準優勝のチームに3失点で完投した鈴木だが、3番打者としては5打数無安打に終わった。「ピッチングよりも何度も打てなかったことが悔しい」と話し、甲子園の土は持ち帰らなかった。

 高校時代の成績は、536打数269安打、打率・502。高3時の三振はわずか3つだった。当時から抜群の打撃センスを誇っていたが、相手の術中にはまった。愛工大名電と毎年定期戦を行っていた松商学園の中原英孝監督(現日本ウェルネス監督)は「ミートがうまいのは知っていたので、あえて上田の変化球でバットに当てさせる作戦だった」と回想する。

 鈴木は2年夏も初戦敗退。2度の甲子園でインパクトを残せなかった。プロ入りし、日米通算で4367安打を刻んだ男はかつて「4000本ヒットを打つには、僕は8000回以上、悔しい思いをしている」と話した。甲子園での通算成績は9打数1安打。聖地での悔しさも「イチロー」の原点となっている。

 ☆第63回大会(91年) 春夏通じて初出場の大阪桐蔭・和田が1回戦の仙台育英戦で史上10人目のノーヒットノーランを達成。市川は史上初の2試合連続逆転サヨナラ勝ちを記録した。8強のうち4校(桐生第一、国士舘、市川、大阪桐蔭)が初出場校だった。決勝は広陵―松商学園で第3回大会(26年)と同じカード(広陵中―松本商)となった。当時は広陵中―松本商。広陵は6―5のサヨナラ勝ちで返り討ちを果たし、その時以来65年ぶり2度目の頂点に立った。

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