日本ハム・田中瑛斗 天国の友人に誓うプロ初白星 「大翔君のためにも…」

[ 2020年1月29日 09:00 ]

18年12月に宮城大翔くん(左から2人目)と両親を慰問する日本ハム・田中瑛(左)=提供写真=
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 ぜんそくを持つ病気がちの少年だった。小学校低学年まで症状が重く、入退院を繰り返した時期もあった。その少年は今、日本ハムのユニホームを身にまとい、立派な姿で故郷・大分県中津市に凱旋した。今季3年目を迎える田中瑛斗投手(20)だ。

 プロ2年目の昨オフから自身も入院していた中津市内の病院で慰問活動を行っており、今年1月に入院中の少年少女を見舞いに訪れた。「自分も小さい頃からぜんそくで入院していて、恩返しできたらと思って始めました」と経緯を説明。多くの子どもたちと笑顔で触れ合い「少なからず入院した経験があって、入院している子の気持ちもわかる。子供たちの笑った顔を見ると、こっちが逆に元気をもらえました」と振り返る。子どもたちの存在が野球への活力になっており、将来的には勝利数などに応じた寄付も行いたい考えを持つ。「徐々に結果を残したらそういうことも考えたいし、1カ所だけじゃなく、2カ所、3カ所と回りたい」と3年目の飛躍を誓う。

 昨年8月、悲しい出来事も起きた。18年12月に慰問した際に知り合った、重い脳障がいを持つ宮城大翔(たいが)君が5歳で他界。田中は昨年9月に1軍デビューを果たしたが、「北海道まで応援に行く」という大翔君の夢を叶えさせてあげられず、無念の思いが残った。生きていれば今年1月10日に6歳の誕生日を迎えるはずだった。その前日の9日に大翔君の実家を訪問して仏壇に手を合わせ、両親に福岡で行われるソフトバンク戦の招待を約束。「大翔君のためにも頑張りたい」と力を込めた。

 「プロ野球選手になったからこそ、こういう活動をやっていきたい」。1メートル84、77キロのすらっとした投手体型で、清宮と同じ17年ドラフト3位で入団した次世代のエース候補。昨年末に地元で行われた野球教室では、柳ケ浦の先輩にあたるブルージェイズ・山口と初対面し、刺激も受けた。地元からたくさんのパワーをもらい、天国の友人に手向けのプロ初白星を捧げる。(記者コラム・東尾 洋樹)

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