あれから15年…朗希も入団、ロッテのファンサービスに注目

[ 2019年12月16日 09:30 ]

ナインをハイタッチで出迎えるロッテのボビー・バレンタイン監督=2009年
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 2005年、日本一になったロッテを担当した。監督はボビー・バレンタインだった。打線のオーダーは毎日のように替え、前日に大活躍した選手も平気でスタメンから外した。

 「監督にとって一番大事な仕事は何だと思う?オーダーを決めることだ。毎日同じオーダーならば、家のテレビで試合を見ていればいいだけだろう」

 そんな話を聞いたことがある。そんな猫の目打線でも優勝した。勝負の世界は結果がすべてだ。我々は「ボビーマジック」と呼んだ。陽気な性格で、サービス精神も旺盛だった。

 一方で、自分の思うようにならないことは嫌いだった。ある選手が出場選手登録から抹消された。つまり、2軍落ちだ。NPBから公示が発表されていたので、たまたま隣にいたその選手に「あれ、2軍に落ちたの?」と聞くと、「えっ、オレなの」と驚かれた。

 まだ、バレンタイン監督は本人に通達していなかったのだ。「怪しいところから勝手に情報を仕入れて、監督が説明する前に記者が2軍落ちを伝えた」と怒っていたそうだ。すでに公示が出ているというのに…、ちょっとめんどくさいところもあった。

 それでも、ファンサービスの精神は心から尊敬した。これぞ、プロだと思った。一塁ベンチの上にサインできるスペースをつくり、試合前にはずっとペンを走らせていた。雨で試合が中止になれば、一人でも多くサインや握手をしていた。

 試合前には自らステージに上がって得意の社交ダンスも披露した。ファン感謝デーには力がこもっていた。ファンがスタンドから選手たちを見ているようなイベントが続くと、「ファンが一番うれしいのは何だ!選手と直に触れ合うことだろ」と目をつり上げていた。

 そういえば、バレンタイン監督に「ファンサービスについて話を聞かせてくれ」とお願いしたことがある。もちろん、快諾してくれた。さあ、話を聞こうとすると「これがおまえのファンサービスか?」と笑われた。

 大笑いされた。ズボンのチャックが少し開いていた。アメリカンジョークも上手な人だった。あれから15年。来年は佐々木朗希もいる。ロッテの取材は忙しくなりそうだ。(記者コラム・横市 勇)

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