広島・岩本 明るく「悔いなし」スコアラーでカープの支えに

[ 2019年12月5日 09:00 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(5)

2010年08月27日、巨人戦の11回に2打席連発となるソロ本塁打を放った岩本
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 いつ何時もニコニコしている。浮かんでくるのはそんなイメージだ。10月2日、広島・岩本は言葉に力を込めた。戦力外通告の場にはおよそ似つかわしくない、明るい表情だった。

 「暗い顔をしても…ね。僕は広島出身。カープに必要ないと言われたら仕方がない。悔いは全くないです」

 広島商から亜大に進み、08年ドラフト1位で入団。1982年の近鉄・谷真一以来、26年ぶりに地元の古豪からプロ野球選手が誕生したとあって、大きな期待が集まった。岩本自身も「小さい頃から応援してきた球団なのでうれしい」。門出に胸を膨らませた。

 新球場の形状にも影響を与えた。09年4月にマツダスタジアムが開場。松田元オーナーが「岩本が獲れなかったら、左翼フェンスを高くしようと思っていた」と明かした通り、当初あった左翼のグリーンモンスター化計画は、広角に打ち分ける大砲候補の獲得で白紙になった逸話が残る。

 2年目の10年7月4日、横浜戦(マツダ)で待望のプロ1号。ノーステップ打法で左中間最深部へ突き刺すと、後半戦だけで14発を放ち「4番候補がついに開眼」とメディアは騒いだ。だが、好事魔多し…だ。翌春に左膝痛を発症。秋にはオスグッド症による骨片摘出、骨棘(こっきょく)切除手術を受けた。

 将来に禍根を残す挫折。「それも僕の人生だから…」。10年8月27日の巨人戦、9回にクルーンから起死回生の同点弾を放ち、再び劣勢の延長11回にも逆転サヨナラを呼ぶアーチを架けた。広島一筋11年。旬は短くても、輝く瞬間は確かにあった。だからこそ、もっとできたのでは…と思えてならない。

 「今さら…ですが、若い頃から謙虚にもっと練習すればよかったと思う。その点、今の若手たちはよく練習するので楽しみです」

 球団からのオファーを受け、スコアラーとして第二の人生をスタートさせる。「僕が現役の時に感じていたことを伝えていければ。選手が思い切ってプレーできるように、勉強しながらサポートしていきたい」。柔和な笑みをたたえ、裏方としての貢献を誓った。(江尾 卓也)

 ▼岩本 貴裕(いわもと・たかひろ)1986年(昭61)4月18日生まれ、広島市出身の33歳。広島商3年夏に4番・エースで16年ぶりの甲子園に導く。高校通算52本塁打。亜大では1年秋からレギュラーを務め、東都リーグ4位の大学通算16本塁打をマーク。08年ドラフト1位で広島に入団。通算成績は405試合で打率・253、31本塁打、131打点、1盗塁。1メートル82、96キロ。左投げ左打ち。

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