内田雅也が行く 猛虎の地(4)「タイガース」の由来は天守閣の虎!?

[ 2019年12月4日 08:00 ]

大阪城天守閣の虎のレリーフ
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 【(4)大阪城天守閣】

 「タイガース」の由来は大阪城だった!? そんな新説を唱えていたのは3年前、90歳で永眠した小島昭男で「父から聞かされた」と話していた。

 父とは戦前の日本職業野球連盟(NPBL)関西支局長だった小島善平(1957年他界)である。戦後、プロ野球が復活した当時「タイガースという名前は大阪城の虎からきたんやで」と聞いたそうだ。

 大阪城天守閣には東西南北に2頭ずつ計8頭の虎のレリーフがある。金色で1頭は横約3・3メートル、縦約1・5メートルある。

 天守閣は1931(昭和6)年11月、266年ぶりに復興した。大阪市が昭和天皇の即位記念事業として進め、市民の募金で再建された。江戸時代初期に描かれた「大坂夏の陣屏風(びょうぶ)」を参考にした。

 阪神球団は1935(昭和10)年12月10日、その名も株式会社・大阪野球倶楽部として創設された。大阪のチームだ。

 チームの愛称が「タイガース」と発表されたのは年が明けた36年1月10日だった。球団創設の中心人物だった阪神電鉄取締役支配人・細野躋(のぼる)が<社内から懸賞付きで募集した>と『タイガース30年史』に書いている。最も多かったのがタイガースで、代表して運動課の松原三郎が金一封を受け取った。

 ただ、なぜタイガースだったのかという根拠や由来は分かっていない。よく伝わるのが、35年に大リーグ・ワールドシリーズを制したデトロイト・タイガースにあやかったという説だ。デトロイトも電車を走らせる阪神間も同じ工業地帯だったという親しみもある。

 小島昭男が父の話を基に語っていたのを覚えている。「阪神球団ができたのは天守閣が再建され、大阪のシンボルとして市民に根づいてきたころだ。大阪城の虎から発想したのではないか」

 戦前にあった名古屋金鯱(きんこ)軍は名古屋城のしゃちほこから、戦後発足の広島カープは鯉城と呼ばれた広島城から名づけられた。本拠地の城とはつながりが深い。

 小島善平は創設期からの功労者だった。<全くのプロ野球人>と元広島球団代表・河口豪(とし)が『カープ風雪十一年』(ベースボール・マガジン社)に記している。連盟会長・鈴木龍二は『鈴木龍二回顧録』(ベースボール・マガジン社)で<忘れてはならない人物>と記した。

 恐らく善平は阪神球団幹部から「大阪城の虎」と聞いていた。真相は確かめようもないが、一説として留め置きたい。

 余談になるが、阪神を自由契約になった岡田彰布が94年1月、自主トレを行っていたのが大阪城公園。根っから猛虎人と大阪城は抜群の調和を見せていた。=敬称略=(編集委員)

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