桑田真澄氏がオールラウンドプレーヤーを目指したワケ「哲さんの分も…」

[ 2019年5月26日 21:26 ]

清水哲さん(手前)を囲む桑田真澄氏(左)と恩師である中村順司元監督
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 野球評論家・桑田真澄氏(51)が26日放送のTBSのドキュメントバラエティー「消えた天才」(日曜後6・30)に出演、憧れ続けたPL学園の1歳上の投手とのきずなを語った。

 桑田氏が「天才」と語るその投手は清水哲さん(53)。清水さんはPL学園時代に84年春と夏の甲子園で準優勝を果たした時の主将。84年夏の決勝では、4―8で取手二に敗れたが、3―4で迎えた9回裏に同点弾を放ったこともある。高校時代の清水さんについて桑田氏は「あの人ビシバシやな。この人に近づきたい。追い越すには何が必要なのかとずっと考えていた」と語るほどの才能の持ち主で、寮では桑田は清水さんの「付き人」として生活。弟のようにかわいがられたという。

 しかし、清水さんは同大に進学後の1年の秋、試合中に二塁へヘッドスライディングを試みた際に相手選手と激突して首を骨折してしまった。8時間を超える手術の末に命は取とめたものの、肩から下のまひで車いす生活を送ることに。「とにかく信じたくない。うそであってくれ」と思い「治らないと言われ、頑張ろうと思うやつはいない。なんで俺だけこんな目に遭わないかんのや」と悲嘆にくれていた。

 桑田氏は、見舞いに訪れたある日「俺を殺してくれないか。頼むわ。生きていてもしようがない。家族にも迷惑をかけるし苦しい」と言われたと明かす。清水さんも「自分一人では死ぬことさえできない」辛さだったとし、さらに、ともに甲子園で活躍した仲間の輝かしい姿に「1人の時には泣いていた」と明かした。

 そんな中、巨人のスターとなった桑田氏は、何度も見舞いに訪れ、あえて野球の話をしながら励まし続けた。「哲さんの分も頑張りますし、努力します」と誓った桑田氏は「哲さんはオールラウンドプレーヤーですから。僕もそれを目指した」と語る。その言葉の通り、投手として投げるだけでなく、守備でもゴールデングラブ賞に8回輝き、打撃でも通算7本塁打で打率は.216ながら、出塁率.248、長打率.289と高い数字を残している。

 桑田氏の活躍を見た清水さんも「桑田が俺のかわりに野球をやってくれている」と生きる勇気をもらい、過酷なリハビリを決意。口に棒を加えキーボードを打つなことなど、できる限りのことをし、NPO法人「ホームベース」も設立、代表として活躍している。

 現在、清水さんは今秋開催予定の「マスターズ甲子園」出場を目指すPL学園OBチームの監督を務めている。チームメートには桑田氏もおり、2人で35年ぶりに同じユニホームを着てチームメートとなった。清水さんは桑田氏とともに活躍した時に着たユニホームを大事に保管。「また同じユニホームを着ることができるとは思わなかった」と笑顔で語った。

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