黒木知宏氏 恩師の訃報に「育てていただいた」

[ 2019年3月28日 05:30 ]

近藤昭仁氏死去

16連敗で迎えた98年7月7日、9回2死に同点弾を浴びてマウンドに座り込む黒木を励ます当時指揮官だった近藤氏
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 元ロッテのエース・黒木知宏氏は恩師の訃報に「ただ驚くばかりです」とコメントした。「七夕の悲劇」はあまりにも有名。16連敗で迎えた98年7月7日のオリックス戦に先発し、3―1の9回2死一塁からプリアムに同点2ランを浴び、マウンド上に座り込んで悔し涙を流した。

 当時の指揮官が近藤氏だった。チームの低迷脱出を図り、先発→ストッパー→先発と配置転換された末の悲劇だったが、「苦しい状況でも我慢することを教えていただき、野球人黒木知宏を育てていただいた近藤監督のことは、一生忘れることはありません」と故人をしのんだ。

 ▼広岡達朗氏(ヤクルト、西武コーチ時代の監督)近藤というのは「これを教えてくれ」と言ったら忠実にやる。ガンちゃん(藤田元司氏)が巨人の2度目の監督になるとき「ヘッドコーチは黒江と近藤のどっちがいい?」と聞いてきたから、そう話したら近藤を選んだ。本当によくやってくれた。

 ▼田淵幸一氏(スポニチ本紙評論家)近藤さんには西武で2度日本一になったときにお世話になった。広岡監督やコーチの森さんには聞けないことでも近藤さんには聞ける。面倒見のいい、優しい先輩だった。

 ▼西武辻発彦監督(西武に入団した)1年目のオフに(自宅のある)横浜から所沢まで通ってもらって、12月の暮れまで打撃を見てもらった。最近は体も悪いということで大丈夫かなとは気に掛けていた。

 ▼土井 淳氏(大洋時代の後輩で)入団当初、三原監督から「おまえは小さいから期待できん。早くプロを諦めた方がいい」って言われたんだ。アキは怒ったよ。でも反発心を見抜いて育てる三原さんの掌握術だったのかな。負けん気が強い頑張り屋だった。

 ▼DeNA三浦投手コーチ 2年目にプロ初勝利をしたときの監督。勝てないとき、風呂場で「やることをやっていれば、見る人は見ているから頑張れよ」と声を掛けていただき一つ勝つことの大変さを教えていただいた。

 ▼ヤクルト石井琢打撃コーチ(横浜時代に投手から)野手転向して怒られながらも使っていただいた。98年に優勝したメンバーは、近藤監督に怒られながら我慢して使ってもらった選手ばかり。あの時代があったから今の自分がある。

 ▼ロッテ福浦 初めて1軍に上げてくれて背番号9に替えてくれたのが近藤監督。18連敗という苦い思い出もありました。あの悔しさは今でも忘れられない。(近藤氏に)申し訳ない気持ちです。

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2019年3月28日のニュース