“松坂の影武者”の今 ファンも報道陣もだまされた20年前の脱出劇 平成キャンプ10大事件簿

[ 2019年1月30日 09:00 ]

平成キャンプ10大事件簿

1999年2月15日付の紙面
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 いよいよ球春到来!平成という元号では最後となる春季キャンプが、2月1日に各地で一斉にスタートする。平成元年から昨年までの30年間、キャンプ地ではさまざまな出来事が起こった。珍事件から思わぬ騒動、そして球史に残る足跡――。「スポニチ選定10大事件簿」と題して、当時の紙面で「平成」を振り返る。

 99年2月14日のバレンタインデー。高知市春野に西武の松坂大輔の「影武者」が参上した。正体は当時3年目の右腕・谷中真二。現在45歳の谷中氏は「あれほどの経験はない。本当に凄い人の数でした」と振り返る。当日は日曜日。怪物ルーキーをひと目見ようと、球団最多1万5000人のファンが集まった。松坂は移動もままならない。そこで…。当時の森2軍投手コーチの発案で、背格好が似ている谷中が影武者に選ばれた。

 ブルペン横のプレハブから、松坂のユニホームを着て猛ダッシュ。「ばれたらアカン、と思って、下を向いて必死に走った」。ファンと報道陣は影武者の後を追い、松坂は見事に脱出した。

 「悔しい思いもありましたよ。自分もプロの選手。活躍してこそ、と思っていたので」。複雑でもあったが「あれから20年。今となっては懐かしくて、いい思い出です」。自身は今季から阪神のスコアラーを務める。「プレッシャーに負けず、あれだけの活躍をして、まだ現役でいる。うれしいですね」。松坂の存在は今でも励みになっている。

 【93(平5)年2月1日 松井初日から135メートル弾】長嶋新監督がドラフト会議でくじを引き当てた松井が93年、巨人に入団。2月1日のキャンプ初日には、フリー打撃で特大の135メートル弾を含む4本の柵越え。18歳のゴジラは「要領が分からず戸惑った」と話したが、指揮官は「何ら指示するところはない」。国民栄誉賞を受賞した師弟関係のスタートでもあった。

 【95(平7)・2・4 謎の客にロッテ騒然】95年のロッテのアリゾナキャンプ。2月4日、未確認飛行物体がキャンプ地の上空に飛来するUFO騒動が起きた。グラウンドではサインプレーの練習中で、バレンタイン監督は「西武がウチのサインを盗みに来た!」。定詰は「アメリカの砂漠にはUFO基地があるって矢追純一さんが言ってた…」

 【00(平12)・2・12 長嶋監督栄光の背番】00年2月12日、巨人・長嶋監督が背番号3をお披露目した。現役引退した74年以来26年ぶり。ジャンパーを脱いだ瞬間、涙を浮かべるファンも。FA加入し、それまでの33番を譲った江藤に223球の猛ノック。球場は約5万5000人で埋まり「これほどまでに話題になるとは…」とミスターも驚く。

 【04(平16)・2・1 落合竜初日に紅白戦】04年、中日の新指揮官に就任した落合監督が「オレ流」のキャンプで話題を呼んだ。初日の2月1日に超異例の紅白戦を実施。川上が147キロ、岩瀬が143キロをマークし「プロ意識というのかな。それに尽きるんじゃないの」。今では早めの実戦は各球団とも珍しくないが、その起源はオレ流にあった。

 【04(平16)・2・2 SHINJO股間弾】04年2月2日、日本ハム・SHINJO(新庄剛志)がフリー打撃で放った柵越え弾が、左中間席にいた小学4年生の股間を直撃。「うぎゃ!」という叫び声にスタンドは一時騒然となった。練習途中に対面した新庄は「ごめん、大丈夫?」と謝罪してサイン。少年にはその場で「チン太」のニックネームがついた。

 【09(平21)・2・16 WBC合宿にスター】第2回WBCを控えた09年2月16日、宮崎サンマリン球場で日本代表候補合宿がスタート。主役はマリナーズ・イチロー。平日ながら4万人のファンが集結し、その前でレーザービームに背面キャッチ…。夢のような時間が流れた。「感想?疲れちった、ですね」。チームは世界一連覇の快挙を達成した。

 【11(平23)・2・1 星野監督“遭難”危機】星野監督が楽天の指揮官に就任し、迎えた沖縄・久米島キャンプ初日の11年2月1日。練習後に歩いて宿舎に帰ろうとするも土地勘がなく迷子に。途中で小学6年生の少年3人に道案内を頼み、遭難危機を脱出。「この子たちがいなかったら帰れなかった。今日のMVPはこの子たちだ。命の恩人だ!」。

 【12(平24)2・3 バルコニーにキヨシ】12年のDeNAの沖縄・宜野湾キャンプ。インフルエンザA型でダウン、隔離された中畑監督だったが、3日朝に球場に隣接するホテル自室のバルコニーに登場。「おお!監督だあ!」との選手のどよめきに笑顔で手を振った。「上から見ていて気持ち良かった」。ガッツポーズに一同大爆笑だった。

 【15(平27)2・18 黒田8年ぶりのコイ】15年、黒田が8年ぶりに古巣・広島に復帰した。メジャー残留なら年俸20億円ともいわれたが、不惑を迎えた右腕は「カープに帰るなら年齢的に今年しかない。最後の決断」。2月17日にキャンプ地の沖縄入りし、翌18日に過去最多の約230人の報道陣の前でブルペンで37球。黒田は翌16年にチームを優勝に導き、現役を引退した。

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