ヤクルト・松岡「突然」ではない引退 これからも“家族”支える

[ 2018年12月9日 09:30 ]

10月8日の試合後、松岡(左)は山本と肩を組んでライトスタンドのファンにあいさつ
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 【決断 ユニホームを脱いだ男たち】10月8日の阪神戦(神宮)。ヤクルト・松岡は2/3回を1安打無失点に抑えて現役最終登板を終えると、ともに引退する山本哲哉を引っ張り、右翼席のヤクルトファンの前で肩を組んだ。

 「自分たち(中継ぎ)はなかなか表舞台に立たない。最初で最後じゃないか。ファンの方へのお礼として盛り上げよう」。山本の登場曲、米米CLUBの「浪漫飛行」に乗って肩を揺らした。最後の最後でも後輩への優しさがにじんだ。

 自身は「突然」が代名詞。FIELD OF VIEWの名曲だ。14年8月。夏に合わせ妻・麻由子さん(34)が選んでくれた。「“突然、待ってます”と言ってくれる方がいるから、変えられなかったです」。球場全体に響き渡る「突然」、イコール「マツケン」。見事にファンの間で定着した。

 真っ先に思い起こしたのは、入団1年目の05年春季キャンプでのブルペン。習得中だったフォークを投げず、名捕手の古田敦也に「一生、投げへんの?」と叱咤(しった)され、立ち去られた。「自分の甘さに向き合えた。フォークが武器になって長く続けられた。感謝しています」。14年間で通算491試合に登板し、球団史上初の通算150ホールドポイントを達成。今季は14試合の登板で通算500試合には届かなかったが、「そこまでの選手だということ」と言い切った。

 「いつでもやめていいように。3、4年、ずっとそう思ってやってきた。若手も育ってきて、夏に1軍にいないと、終わりだと思った」

 父・孝親さん(62)の口癖は「最後までやり抜け」。どんな時も応援し、見守ってくれた。電話で引退を伝え、熊本に住む父から「おつかれ」という言葉を掛けられると涙があふれた。最後までやり抜いたからこそ、潔く身を引いた。

 2軍投手コーチに就任し、秋季キャンプから若手指導にあたった。「今まで指導してくれた方々の集合体が自分で、それを凝縮して伝えていくのが自分の役割だと思う」。「家族のような感じ」というスワローズを、これからも支えていく。 (細川 真里)

 ◆松岡 健一(まつおか・けんいち)1982年(昭57)6月7日生まれ、熊本県出身の36歳。東海大二(現東海大熊本星翔)から九州東海大(現在は東海大に統合)を経て、04年ドラフト自由獲得枠でヤクルト入団。08年から4年連続で50試合以上に登板した。1メートル81、85キロ。右投げ右打ち。

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