阪神ドラ6湯浅(上) 折れかけた心…成長痛の苦悩越えて

[ 2018年12月1日 11:32 ]

ドラフト6位・湯浅京己(19=BC富山)

聖光学院時代の湯浅。折れかけた心をつなぎ止め、野球を続けた
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 【ドラフト指名選手 矢野阪神の1期生】「異変」を感じ始めたのは高校入学を間近に控えた15歳の冬だった。「痛いというよりも、違和感が……」。持病もなければ外傷もないのに、湯浅京己(19=BC富山)の腰は少しずつ、むしばまれていた。そして、聖光学院のユニホームに袖を通してから1カ月が過ぎたころ、違和感が激しい痛みに変わった。

 日に日にひどくなり、プレーどころか歩くこともままならない。「成長痛です。身長が伸びきるまで待つしかありません」。駆け込んだ病院で、そう伝えられた。中学3年から急激に伸び始めた身長に体がついてこられず、腰が悲鳴を上げたのだ。苦悩の日々の始まりだった。

 一般的なケガとは違って「いつ治るか分からないので、不安でいっぱいでした」。出口の見えないリハビリを続けていたが、マネジャーへの転身を提案され「治ったら選手に復帰する」という条件付きで決断。試合ではスコアブックを手に選手に声援を送り、練習の補助や食事の準備なども担当した。

 「プロ野球選手になりたい」と強く思い三重から福島にある強豪校に進んだにもかかわらず、防ぎようのない困難を強いられる形となり京己の心は折れかけていた。母・衣子さんとの電話では「帰りたい……」と弱音を吐くこともあった。それでも、周囲の声に勇気付けられながら、完治を待った。

 緩やかながらも快方に向かい、入学から1年半がたった2年秋の練習試合でマウンドに上がれるまでになった。迎えた高校ラストイヤー。春の福島大会決勝・いわき光洋戦で公式戦初登板初先発。4回3失点だったが、ようやく思いきり野球ができた。

 「ケガをしている時には本当に想像できなかったこと。辞めなくて良かったです」

 夏の福島大会では3回戦の喜多方戦で1イニングのみに登板し3奪三振を記録したが、実戦経験に乏しいなどが理由で甲子園ではメンバー漏れした。「悔しかったけど、自分が引きずっていてもチームに迷惑をかける。役に立つことをやろうと」。当時の最速145キロはチームでは最も速く「メンバーが本番で(速球派投手に)てこずらないように」と打撃投手として全力投球し、チームを支えた。

 何度も折れかけた心をギリギリでつなぎとめ、ユニホームを脱ぐことなく高校生活を終えることができた。だが、京己の本当の挑戦は、ここからだった。(巻木 周平)

 ◆湯浅 京己(ゆあさ・あつき)1999年(平11)7月17日生まれ、三重県出身の19歳。尾鷲小時代に野球を始め、尾鷲中では伊勢志摩ボーイズに所属。聖光学院では腰の成長痛で2年秋まで主にマネジャー。選手復帰後に内野手から投手に転向した。3年夏の甲子園はメンバー外。卒業後はBC富山に入団し1年目の今季は15試合で3勝7敗、防御率5.72。最速151キロ。1メートル83、88キロ。右投げ右打ち。

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