阪神ドラ3木浪(中) 大好きだった天国の祖母に雄姿届け

[ 2018年11月24日 11:00 ]

ドラ3木浪聖也内野手(24=Honda)(中)

ねぶた祭に参加した祖母・美津子さん(右)と木浪
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 【ドラフト指名選手 矢野阪神の1期生】ドラフト会議が開かれた10月25日は聖也が幼い頃からかわいがられ、3年前に死去した母方の祖母・美津子さんの命日だった。

 「天国から見守ってくれたのかなと思う。“プロに行け”ということだったんだと思う」

 両親が共働きだったこともあり、小学校から帰った後は同居する美津子さんと過ごす時間が多く、大の「おばあちゃん子」だった。内緒でうなぎを食べに連れられ、家の手伝いをするとご褒美としてバッティングセンターにも連れて行ってくれた。

 祖母は日本舞踊の先生として教室も開いていて母と姉ととも学んだ。生徒はほとんどが女性。父と兄は加わらず、聖也だけは強制的に週1〜2回の稽古に呼ばれた。「一緒に浴衣を着て小学校低学年ぐらいまではやっていました」。祭りや近所の文化会館では定期的に発表会があり、化粧された顔で踊った。青森の全国的に有名な地元が青森の夏祭り「ねぶた祭」にも踊り子として参加するのが木浪家の恒例行事だった。

 幼い頃から一緒に風呂に入ったり、欲しいものを買ってもらったり、一緒に寝たり…。祖母は母親のような存在だった。野球を始めてからは練習の送迎も買って出てくれた。「野球以外にもいろいろしてもらっていて、いつもホントにお世話になっていたので。頑張ったね…と褒めてくれるのはうれしかった」。残してくれた多くの思い出に感謝は尽きない。

 父・弘二さんも「共働きということもあって、私が知らないところで祖母にいろんなところに連れて行ってもらっていた。聖也を語るのに祖母のこと抜きでは語れない」と強い絆を感じていた。

 大学3年秋のリーグ戦の真っ最中に悲しい別れが訪れた後も頭の片隅には祖母の存在があり、苦しい時も自らを奮い立たせてくれている。「天国で自分のプレーを見て応援してね」と伝えたい。プロでの活躍もきっと見てくれているだろう。(長谷川 凡記)

 ◆木浪 聖也(きなみ・せいや)1994年(平6)6月15日生まれ、青森県出身の24歳。小1で野球を始める。青森山田では1年時からベンチ入りも甲子園出場なし。亜大では1年春からリーグ戦出場。Hondaでは1年目から三塁手兼二塁手のレギュラーで2年目から本職の遊撃手。1メートル78、80キロ。右投げ左打ち。

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