阪神ドラ2小幡(上) 家族の愛情受け小3からソフトボールに熱中

[ 2018年11月20日 09:00 ]

ドラ2小幡竜平内野手(18=延岡学園)(上)

小6時、大分明野北ソフトボールクラブで投手を務める小幡
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 【ドラフト指名選手 矢野阪神の1期生】阪神ドラフト2位の小幡竜平内野手(18=延岡学園)は4人兄弟の三男として生まれ、長男・茂陽さん(27)と次男・和弘さん(25)の影響もあって活発な少年時代を過ごした。四男・士郎さん(16=延岡学園1年)も含めて4人全員が野球に熱心な環境で育った。

 2000年9月21日に3822グラムで小幡家の三男として生を受けた竜平は成長が早く、活発な男の子だった。母親の能夫子(のぶこ)さんは生後間もない頃を懐かしそうに振り返った。

 「離乳食も早かったです。1歳になる少し前ぐらいから、おうどんとかを食べていた。大きな病気とかもなく小さい時から体は丈夫でした」

 体が丈夫で活発に動き回り、思わぬケガをすることも多々あった。例えば2歳の頃、外にはだしで遊びに出て鉄製の板の角で足を切ったり、家の前に置いてあったサボテンのトゲが足に刺さって大泣きしたまま治療を受けたこともあった。逆に病気で病院に行くようなことはほとんどなかった。自宅にはテレビゲーム機などがなく、自宅前の公園の砂場や滑り台で遊ぶことが多かった。

 運動好きは大分市の明野北小学校に入学してからも健在だった。1〜6年までは運動会の学年選抜リレーの走者に選ばれ、6年時には学校のマラソン大会で優勝した。直前の数回の練習でもタイムは常に1番だった。外で走ることが大好きで学校から帰ってから宿題を終えるとすぐに公園でサッカーや野球をした。

 丈夫な体の資本となったのが食事だった。好物は納豆と牛乳。朝食で納豆と牛乳は欠かさず摂っていた。小学4年頃になる頃から量は一気に増加。「兄弟でそれぞれの牛乳があって1日1リットルも飲んでいた。ご飯も毎食お茶わん2杯以上は当たり前に食べていた」(母・能夫子さん)。クラスでも身長順で整列の時にはいつも後方。唯一嫌いな食べ物はトマトだった。母が好まなかったことからあまり食卓に並ばず、今でも苦手なままだ。

 母以上に影響を受けたのは2人の兄だ。9歳上の長男の茂陽さんと7歳上の次男の和弘さんは小学生の頃からソフトボールを始めて中学からは野球に打ち込んできた。歳が離れていた竜平はかわいがられ、風呂に入れたり世話も焼かれた。そんな愛情を受けて自然な流れで兄の試合に連れられるうちに「僕もやりたい」と小学3年で「大分明野北ソフトボールクラブ」に入部。兄も通ったクラブで6年生までソフトボールに打ち込んだ。(長谷川 凡記)

 ◆小幡 竜平(おばた・りゅうへい)2000年(平12)9月21日生まれ、大分県出身の18歳。明野北小3年からソフトボールを始め、投手兼遊撃。明野中では大分明野ボーイズで遊撃手。延岡学園では1年秋から遊撃レギュラー。リードオフマンを経て2年秋から4番を務める。3年春に選抜大会出場も初戦敗退。広角に打ち分ける打撃と遠投115メートルの強肩を生かした守備が持ち味。1メートル81、73キロ、右投げ左打ち。

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