引退の松井稼頭央「思わず、でした…」 最後に遊撃のグラウンドに触れた理由

[ 2018年10月23日 10:00 ]

<西・ソ>遊撃の位置で手を着く松井稼頭央(撮影・木村 揚輔)
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 「ジーターみたいだったね」。そう言うと、松井稼頭央は照れくさそうに笑った。

 「思わず、でした。でも、辞める時は何かやりたいなと思っていたので…」

 10月21日、西武はソフトバンクとのCSファイナルS第5戦に敗れた。日本シリーズへの道を断たれたことはイコール、今季限りで引退する松井のラストゲーム。球団のレジェンドは試合後、左翼席のファンにあいさつに向かった。大歓声を浴びた帰り際。遊撃の守備位置で立ち止まると、名残惜しそうに右手でグラウンドに触れた。ヤンキースのデレク・ジーターは引退した14年、本拠ヤンキースタジアム最後の試合の際に遊撃のポジションでかがみ込み、感謝の思いを伝えた。その姿にそっくりだった。

 「西武に入団して、ショートとして育ててもらった場所。現役として最後に“ありがとうございました”と…」。93年ドラフト3位で入団。PL学園では投手だった。初めて当時の西武ドームで遊撃の守備に就いたのは、95年4月9日の日本ハム戦。それから8596日の歳月が流れた。当初は難のあった守備を猛練習で磨き、類い希な身体能力と肩の強さを発揮してゴールデングラブ賞を4度受賞。そんな松井の成長を見守っていた場所に、最後に別れを告げた。

 CSは5試合。最後まで出場機会はなかった。「それでも準備だけはしっかりしようと思っていた」。21日の試合前練習でも、フリー打撃を終えるとグラブを持ってグラウンドへ。向かったのは遊撃ではなく、左翼。練習の終わりまで黙々とボールを追った。その姿は、最後の最後までぶれることはなかった。

 「やり残したことがなくて辞める人はいない。できるのであればずっとやりたいけど…。プロ野球の世界。いつかは決断しないと」。記者の自宅には、松井が使っていたマスコットバットがある。メッツからロッキーズにトレードされた06年、米国に会いに行った際にもらったものだ。オレンジ色のバットには「25 K.Matsui」の名前とともに、日本語で「感謝」の文字。松井は野球と、ファンへの感謝の思いをずっと忘れなかった。

 23日は43歳の誕生日。四半世紀という長い現役生活にはピリオドを打った。来季は2軍監督就任が確実。指導者としても、「感謝」の思いを胸に野球に向き合っていく日々を送るだろう。それが、松井稼頭央という男だ。(鈴木 勝巳)

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